一目瞭然だった働きかけの違い


 今年、日本の民間団体がパリのユネスコ本部と接触を取りはじめ、ユネスコの日本政府代表部とも会った。「幸福の科学」は早くからユネスコ本部に行き、中国がどのような資料を提出しているか調べ、詳細な反論書を提出している。さらに、中国が政治的な立場から申請していることを訴え、都合四回もユネスコ本部に赴いた。「『南京の真実』国民運動」や「なでしこアクション」は、やはりユネスコ本部に赴き、十四名の専門委員にそれぞれ英文の反論書を提出し、反対署名も添えた。しかし民間では限界がある。

 一方、中国はどうか。十年ほど前、中国は南京虐殺記念館を世界文化遺産にと言いだし、条件をクリアするため記念館を三倍に拡張したことがあった。このときは認められなかったが、昨年、十二月十三日を国家記念日に格上げし、あらためて力を入れていることが明らかになった。

 ユネスコが申請を認めるかどうかは、登録小委員会が史料を検討してある程度の評価をし、十四人からなる国際諮問委員会に送る。国際諮問委員会が最終審議を行い、決定はユネスコ事務局長に委ねられる。

ユネスコ総会で演説する馳文科相=2015年11月5日、パリのユネスコ本部(共同)
ユネスコ総会で演説する馳文科相
=2015年11月5日、パリのユネスコ本部(共同)
 昨年三月、習近平主席はイリナ・ボコバ事務局長に会っている。四月、ドイツを訪れた習近平は講演を行い三十万虐殺に言及した。世界記憶遺産にはすでにアンネの日記が登録されており、ドイツで言及したというのは、南京事件をホロコーストと並べる意図があったからだろう。同じ四月、デンマーク女王を南京虐殺記念館に案内している。登録することによって、日本に対する外交武器として強めようとしていたのがはっきり見てとれていた。このように、日中の取り組み方には格段の違いがある。

まともに説明できる中国人はいない

 では習近平が南京事件を信じているかといえば、そうではない。習近平は、中学校でも、清華大学でも、南京事件を学んだことがない。中国が教科書に載せるのは昭和五十六年、習近平が二十八歳になった時だ。二十八歳のとき突然教科書に現れた南京事件を信じてはいまい。

 習近平がなかったと考える理由の第二は、共産党員が学ばなければならない党史、たとえば胡喬木の「中国共産党の三十年」は事件を記述していない。党史にないことを習近平は事実と見なすか。第三は、中国の高官たちが事件をなかったと見なしてきたことだ。習近平だけがあったと見なすことは考えられない。

 中国高官たちが南京事件をなかったとする例を挙げる。突然南京事件を言いだしたことへの気持ちを初めて中国高官へぶつけたのは、私が知るかぎり三岡徤次郎である。

 三岡徤次郎は昭和九年に陸軍士官学校を卒業、戦争中は大本営で船舶課参謀を務めた。戦後自衛隊に入り、アメリカ陸軍参謀大学で学び、第九師団長を務め、昭和四十四年陸将で退官している。三岡が中国と関わりを持ったのはそれから八年経った五十二年に中国を訪れたときである。十月七日、鄧小平副総理と会い、一時間余り忌憚なく意見を述べあう。

 それをきっかけに、退役自衛官を集めて中国政経懇談会を設立し、会長に就く。引きつづき中国を訪れ、徐向前、王震、張愛萍といった副総理とも会談する。中日友好協会の会長を務めていた孫平化によれば、三岡の設立した中国政経懇談会は遠藤三郎の日中友好元軍人の会と並んで日中友好のため大いに貢献している軍人の集まりだという。