田辺誠は中国に何を吹き込んだか

 それにしても、中国人の口から田辺誠という日本人の名前が出てくる。田辺誠はなにを根拠に言っているのか尋ねなければならない。

 田辺誠は全逓労組を基盤に群馬県選出の衆議院議員になった。昭和五十七年十二月に日本社会党の副委員長に就任、五十八年二月に書記長を兼務する。五十九年二月に書記長専任となり、平成三年に委員長に就いて平成五年まで在任した。この間、昭和六十二年と平成元年に北朝鮮を訪問、平成二年、自民党、社会党、朝鮮労働党との間で共同宣言が行われたときの社会党の代表である。共同宣言をあらためて引用する。

「三党は、日本が過去において三十六年間、朝鮮人民に大きな不幸と災難を与えた事実と、戦後四十五年間、朝鮮人民に蒙らせた損失に対して朝鮮人民共和国に公式に謝罪し、十分に補償すべきであると認める」

 言い添えれば、田辺誠は、昭和十八年に徴兵され、予備士官の道を進み、終戦のとき千葉県稲毛にある戦車予備士官学校に在学中だった。

 平成十一年、私は田辺誠に、お目にかかって話を伺いたいとお願いした。電話口で田辺誠は、「電話で話をしたい」と言う。電話越しでできる話ではないが、面会を強要できるものでない。そのため電話での質問となったが、やはり十分といえず、あらためて電話を差しあげることになった。平成十一年十一月二十八日と十二月七日の二回にわたった質問と答をまとめるとこうなる。

 ――田辺議員から南京事件は事実だと言ってきた、と中国側は言っていますが。

 田辺「パールハーバー五十周年のさいに日本の反省を述べたことはあるが、南京事件については知らないので、中国に対して南京事件について言ったことはない」

 ――亀岡高夫議員が中国から聞いていますが。

 田辺「亀岡さんは親しく、知っています。養蚕議員連盟で一緒だった。しかし、亀岡さんと南京事件について触れたことはありません。君から手紙をもらったので、昔を思い出そうとしているのだが、まったく思いうかばない。

 議員では、同じ厚生委員会で斉藤邦吉、橋本龍太郎と親しかったし、安倍晋太郎、金丸信、竹下登とは政治の上で付き合って親しい。彼らとは親しかったが、それと比べれば亀岡さんとはそれほど親しいわけではない。そういう関係です」

 ――盧溝橋の展示について、これも田辺議員から言ってきたと中国側は言っていますが。

 田辺「三岡さんという人を知らない。展示館に行ったとき署名はしたがそれだけで、歴史は詳しくないのでそういう発言はしていない。歴史の事実関係を調べるつもりもない。

 亀岡さんも三岡さんも士官学校出身らしいが、私も予備士官学校に行った。同じといえば同じだが、私が朝鮮や中国と関係があったので、そう言うのではないか」

 電話越しなので、微妙なところはわからない。微妙なところがわからないので、質問は簡単だが、二度の電話となった。

 誰かがまともに答えていないのだろう。中国高官か、亀岡高夫や稲葉大和か、あるいは田辺誠か。田辺と答えた中国高官は同一人物ではない。亀岡高夫と稲葉大和のあいだに関連はない。だとすると、まともに答えていないのは?

 ともあれ習近平が南京事件を信じていないことはたしかだ。