この体験を機に、私の中で世界の見え方が徐々に変化していきました。この世の現実というのは、心が作り出しているのではないかと思うようになったのです。親との関係で言えば、「親にわかってもらえない」という現実が先にあるのではなく、「傷付きたくない」「どうせわかってもらえない」という否定的な想念が先にあり、その想念が心に壁を作り、その壁が言葉を遮断し、言葉を発しているのにもかかわらず「伝わらない」という現実を生み出していたのではないかと思ったのです。

 そこで初めて、私にも三浦和義さんと同じことができるのではないかという思いが湧いてきたのです。三浦さんの著書『弁護士いらず』(太田出版/現在絶版)には、「きちんと話せばきっと理解してくれる、という思いがあった」など肯定的な言葉が何度も出てきます。
「私と正反対の考えで生きている人だったんだなあ。きっとこの信念こそが高い勝訴率を生み出した原因に違いない。私はずっと『どうせわかってもらえない』と思いこんでいた。その思いこみが、犯人とされることに甘んじる結果につながっていたのではないか。このままでは誰も真実を報道してくれない。だったら自分から声を上げよう。必ずわかってもらえると信じた上で、きちんと説明すれば、きっと今の現実を変えることができる。その過程で傷付くことがあったとしても、それでもかまわない」

 私は次第にそう思うようになったのです。

 私はそれまで、マスコミに対する極度の不信感から、徹底的に自分の報道から目を背けてきました。弁護士の先生との会話で自然に入ってきてしまうものはありましたが、特に週刊誌や新聞など紙媒体のものは、逃走中も含めてほとんど目にしていないのです。

 私は初めてこれらと真正面から向き合う決意をしました。今までの自分の報道に全て目を通そうと考えたのです。そしてもし間違った報道があったならば、きちんと抗議をし、それでも間違いを認めてもらえないならば、法廷という公の場で第三者にきちんと判断をしてもらおう。そう思ったのです。

 果たして裁判官が公正な判断をしてくれるだろうかという不安はありましたが、「最初から100%の結果が出なくてもいい。最初は10%か20%ぐらいしか伝わらなかったとしても、あきらめなければきっと伝わる。それに、何も行動を起こさなければ0%だけど、10%でも20%でも伝われば意味がある」と思ったのです。それは、自分の刑事裁判の体験から生じた思いでもありました。判決は「有罪」でしたが、裁判を傍聴していた(面識のない)方から、「本当に知らなかったんだなと思った」「(私の)証言に説得力があった」等のお手紙を頂いていたのです。

 「裁判官には伝わらなかったけど、一部の人達には確実に伝わったんだ」

 この体験は、「どうせわかってもらえない」と感じたことについては、最初から話さない癖のある私にとって、大きな成功体験になったのです。