自宅にガサ、身を救った癖


 公安警察というのは刑事警察とはタイプが随分違って、「なんでも根こそぎ」っていう考え方が根底にあります。「キツネ目の男」を尾行しておきながら、京都行き国電(現JR)の中で逮捕できなかったのは、犯人の後をつけていけば、いずれこいつが巣穴まで帰ってグループを一網打尽にできると踏んだからでしょう。組織犯罪ならその実態を解明して上から下まで丸ごとパクってしまえ、というみたいにね。それ対して刑事警察というのは、たとえグループであっても事件を犯したヤツを単独でもいいからパクればいいという発想です。同じ警察でありながら手法がまったく違う。例えるなら、水田で米を作っているのと、畑で大根を作っているのとは違うように、警察の中でも当然やっている分野が異なる以上、それぞれの捜査手法は違って然るべきなんです。犯罪というのはもともと非常に肉体的なものなんですね。人を殺すとか傷つけるとか、カネを奪うとか、人のモノを盗むとか。そもそも肉体の苦痛を伴うものなんです。ただ、グリ森事件は肉体的ダメージを与えない犯罪だった。精神的なダメージはあったかもしれないけど。そういう意味で、グリ森事件は犯罪の在り方そのものを変えた事件だったといえるのではないでしょうか。

 グリ森事件では僕も容疑者扱いされました。青梅街道を挟んだところに警視庁中野警察署があったんですけど、当時はその向かい側に僕も住んでいました。実は事件後、警察が2回ほど自宅を訪ねて来ました。(京都の)実家の方にはすでに行ってたんでしょう。たぶん、中野に住んでいたころには尾行も付いていたんだと思います。そう、警察が自宅にやって来る半年ぐらい前から行動確認をしていたんだと思う。そして、しばらくして突然ガサ状(捜索令状)を持って自宅に踏み込んできたんです。ところが、ガサをしても事件に関わるモノは何にも出てこなかった。結局、警察も一度のガサであきらめたんでしょう。その後、本件でガサを受けることはありませんでした。

キツネ目の男 「キツネ目の男」は、昭和59年6月28日夜の丸大食品脅迫事件で、国鉄高槻駅-京都駅間の普通電車の中で大阪府警の捜査員に目撃された不審人物。終始、現金持参人の行動を監視しており、府警は21面相の一味と判断して60年1月10日に似顔絵を公開した。当時の推定年齢は35-45歳。身長175-178センチで、がっちりした体格。薄いまゆ毛と、つり上がった目が特徴。捜査本部に約4400件の情報が寄せられ、うち約600人について捜査員が直接確認に出向くなど、最重要捜査項目とされた。

 ただ、いま思い出しても一つだけ気になることがあります。国電車内で「キツネ目の男」が目撃され、警察が取り逃がしたときがあるでしょ? 実はガサの関係で警察が聞いてきたのは、その時の「アリバイ」なんですよ。当時、僕はひどく物忘れが激しいもんだから、何でも細かく手帳に書く癖があったんですね。それで、刑事に尋ねられた日時をパッと見たら、「ああ、この日はここにいましたよ」と答えたんです。今でもよく覚えていますが、あの日はとある大学の労働組合の勉強会に出ていたんです。刑事は僕の答えを聞いてすぐその場で無線連絡を取り、別の刑事がその大学に行って裏を取ってきたんです。もしあの時、僕がアリバイを証明できなければ、今ごろどうなってたかな? 僕は物忘れがひどいからメモを取る癖があったのが、結局は身を救ったという話なんですが、何が身を助けるか分からないもんだよね(笑)。その後も、雑誌なんかで犯人扱いされて、いろいろ書かれたりしたんだけど、あれ以降警察のマークがなくなったというのはよく覚えています。もちろん僕には事件には関与していないという身の潔白があるわけですから、警察による本件のガサにもかなり協力的だったと思いますよ(笑)。
宮崎学氏愛用のスケジュール帳
宮崎学氏愛用のスケジュール帳
 グリ森事件を振り返ってみると、メディアでは僕のことを「容疑者M」とか、勝手に犯人扱いしてさんざん書かれました。でもね、僕自身、人権を毀損されているとか、あの当時も今も全然思っていないんです。もともと基本的人権とか名誉毀損という法的な利益を持ち得ない社会的階層にいるもんだと思ってましたから。逆にメディアがそう言うんだったら「勝手にそう言い続けろ! お前らはこっちの世界まで来れんのか」みたいに意地になってころもありました。僕は僕なりのやり方で「社会」に反撃してやろう。それが僕の『突破者』(1996年、南風社)の原点なんです。メディアに対する僕なりの反撃なんです。自分の名誉が毀損されたとか、そういう人権派的発想じゃない。そう言ってるお前たちは一体何者なんだ、そんな偉そうなこといえる人間なのかと、逆に僕が問うているんです。自身の人権が毀損されたからけしからん、ということは一度だって言ったことはない。「自由平等」や「博愛」っていう今の社会の原理が当然かのようにお前たちが思ってるんだったら僕はどうなるんだよ、と。

 僕みたいに父親がヤクザの家族っていうと、いわゆる今の憲法の枠内から外れた存在だと思うんですよ。憲法の法の利益を受けれない存在。例えばヤクザだからということで携帯電話を買うのに申し込みの名前が違うだけで、警察はパクるというようなことをやってるわけでしょ。そんなこと、本当にありなのかと。現行憲法の利益から外れた社会的階層だって世の中にはたくさんいるんです。でも、警察は捜査対象がヤクザだったら無理筋でも何でも事件化して逮捕する。そんなご時世だから、ヤクザの家族は憲法の利益を受けられない存在なんだという認識が僕にはあるんです。