そもそもルーカスは映画監督としてどうなのか


 ちなみに私はSW4(エピソード4)が公開された際、(全米1977年、日本78年)生まれていなかったから、スピーダー・バイクがタトゥイーンの砂漠の宙を疾走する特撮を見て世界中が熱狂した当時の観客の皮膚感覚を知らない。

 1997年にはSW4~6の特別編が公開され、原盤から大きくCG技術が更新されたが、既にその時期日本では『新世紀エヴァンゲリオン』の熱狂的大ブームが列島を覆っており、更にスペース・オペラという意味では翌98年、90年代を代表するSFアニメ・シリーズの傑作である『COWBOY BEBOP』(渡辺信一郎監督)が燦然と登場してきた。SWは基礎教養として見なければならないという義務感と、相応の感慨はあったがそれ以上の何かを持ち得ないまま、99年の『ファントム・メナス(SW1)』へと劇場体験は続いていく。

 つまり私が何を言いたいのかというと、日本製SFアニメの洗礼を全身に受けて青春を過ごした私にとって、SWにはそれほど大きな思い入れはない、ということだ。SW公開時には映画館に長蛇の列ができ徹夜組がでたと伝え聞くが、それを言うなら私だって97年の『エヴァ旧劇場版』(シト新生)に公開日の前日の深夜から11時間並んだ。

 私にとってのSWは、『ロード・オブ・ザ・リングよりもベルセルク』『宇宙の戦士よりもガンダム』『ライトスタッフよりも王立宇宙軍』『ジェームス・キャメロンよりも押井守』という、やや偏愛的なドメスティック感覚と同じように、おおよそ好みで言えば「ド直球」の作品ではないのだが、それでも気鋭のJJが監督するというのだから事前期待は高まっていたのが正直なところだ。
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』 (C) 2015Lucasfilm Ltd. & TM. All Rights Reserved
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』 (C) 2015Lucasfilm Ltd. & TM. All Rights Reserved
 今回、SW7は「高い店のうまい飯」だったが、高級店が高級店で在り続けるには努力が必要であるのと同じように、「高い店がうまい飯」を出すその裏側は、並大抵の努力ではないだろう。それは十分、画面から伝わってくる。

 ルーカスの演出を私は決して上手い、とは思わない。SW以前のルーカス作品、『THX-1138』や『アメリカン・グラフィティ』にしても、ルーカス黎明期の作品とはいえ、傑作であるとは思えない。SWが大ヒットしたから後付で照射されただけであり、正直言って上手い監督は他にいくらでもいる。

 ルーカスは全体的に編集のテンポが悪く、構成に無駄があり、構図も劇的ではない。SW4において傑出して印象に残る演出は前出のスター・デストロイヤーの登場場面くらいだ。私がSW全般に対し、やや冷めているのは致命的にこの部分が引っ掛かるからである。

 そのような意味で、ルーカスと同時期にライバル視されたF・コッポラのほうが映画監督としてのレベルは比較に出来ぬほど上である。ルーカスはキューブリックの『2001年』にも影響を受けているとされるが、残念だがキューブリック・スタイルがSWに有意義に取り込まれているとは思えない。今回のJJに至っては、やや凡庸ではあるが会話シークエンスのテンポは悪くなく、構成もルーカスに比べれば遥かに筋肉質で引き締まっている。それはJJが優秀であるという以上に、ルーカスのレベルがそもそもあまり高くないからだ。

 であるがゆえに、JJに課された「ルーカスを否定しつつ、尊重しなければならない」という縛りは、海よりも深い。ルーカスより「画期的に」上手く撮る実力は当然あるはずだが、それをやると文句を言われるという宿命は地獄だ。だから抑制的である。しかしあまりにも抑制的であっても批判される。そんな絶妙なエンジンの蒸かし加減を2時間強も「きちんと」続けるJJは、やはり凄いなと思う。

 「高い店でうまい飯をくう」のも、たまには良いものだ。SW7、是非劇場で鑑賞されたい。