(2)雷撃の無駄
 源田の計画の原則は多くの戦艦にほどほどの損害を与えるより一隻に致命傷を負わせる方がよいというもので、山本も戦艦が使用不能になるか沈められることを望んだ。米国の海軍大学の試算では条約型戦艦を日本軍の航空魚雷で沈めるのには六、七本必要とし、命中が十五分以内に集中する場合は反対注水が間に合わないので四、五本で転覆するとみていた。米国の戦艦は速度を犠牲にして重装甲や魚雷防御を強化していた。戦艦が海上にあるときは水密措置が徹底されるので港にあるより強靭であることを日本は知っていた。

 戦闘においては拙劣な目標設定や発射など決断ミス、心理的エラーや物理的エラーが起こりがちであるが雷撃機はこの両方のエラーをおかした。
 最初の大きなエラーは空母泊地攻撃を命ぜられた雷撃隊がおかした。停泊していたのは老齢で除籍されて標的艦になっていたユタと二十㎝砲の初期型巡洋艦ラレイとデトロイト及び貨物船改造の水上機母艦タンジールであった。時代遅れの巡洋艦は一応優先リストで認められた目標であったが、ユタは明らかに貴重な兵器の無駄遣いだった。

 飛龍の攻撃隊長松村大尉は伝声管を通して「空母を探せ」と見張りに伝えたが、フォード島の北西にそれらしき巨艦が見えたが上部構造を取り外し板張りの甲板だけになった艦齢三十年の廃艦に近い標的艦ユタであった。発艦前に隊員にはこの艦はほうっておけと命じられていた。長井大尉指揮下の森二飛曹はこの攻撃を目撃して「奴らは停泊艦の二隻は巡洋艦だと分からないのか。少し離れたところに戦艦が居るのに魚雷を無駄遣いするのは犯罪的だ」と思った。警告にも関わらず、雷撃機六機がユタを攻撃した。この魚雷の無駄遣いは空母不在との重要情報にもかかわらず、空母に固執する余り戻っているかもしれないとの全く根拠がない期待から、当初予定通り空母泊地の攻撃を命じたことによる。攻撃隊員を惑わせ遠路日本から運んだ貴重な六本の魚雷を無駄にした全責任は参謀にある。在ハワイの海軍予備士官吉川猛夫が届けた最後の情報は活かされなかった。

日本軍機から撮影された、魚雷攻撃を受けるアメリカ戦艦
日本軍機から撮影された、魚雷攻撃を受けるアメリカ戦艦
(3)攻撃ルートと衝突回避
 秩序立った攻撃はされなかった。投下後に前機が左旋回して衝突を回避する基本的手順は常に実行されたわけではない。飛行経路は対空砲火と煙で妨げられ編隊は入り乱れた。戦後のインタビューでは搭乗員は目標の優先順位よりも予想外に熾烈な対空砲火や目標を見分ける難しさ、どれであれ戦艦を攻撃したかったことなど話した。最も歴戦の搭乗員だけが攻撃の分散について語った。計画者は単純な任務とみていたが実際の戦闘はそうならなかった。計画では攻撃に二分と見ていたのが、実際は十一〜十五分かかったことがこのことを物語っている。

(4)過剰破壊
 淵田は天皇に説明するための一九四一年十二月二十七日の地図では三十六本の魚雷が命中と示している。二十一本がオクラホマとウェスト・バージニアで、必要量の二倍である。ヘレナには五本で一〇〇%以上の過剰破壊であり、ユタへの六本はすべて無駄であった。
 淵田の報告からは三十六本の魚雷の内十九本(五三%)は過剰破壊か無駄であった。雷撃機のパイロットからすると二十〜三十秒間隔の攻撃では、その前の魚雷の上げる水柱を目撃するのみで自分の前にどれだけ目標に命中したか判別が難しい。オクラホマに上がる水柱を見て次のより狙いやすい目標としてウェスト・バージニアに移る。何発かウェスト・バージニアに当たる間にオクラホマの水柱は収まっているので、追加の魚雷がオクラホマに向けられる。赤城と加賀の攻撃機で七十秒のギャップがあることも問題を難しくした。優先方法の下で魚雷を適切に振り分けるためには自分の目で確かめる以上に情報が必要であった。さもなければ容易な目標に命中が繰り返されることになる。このことは予行演習でも起こっていたが是正されなかった。
 さらには優先方法自体が日本人の心情に反していた。武士道精神に満ちた日本の戦士が二千六百年の日本の歴史で最も重要な戦闘において二次的な目標を攻撃して、凱旋して「二次的な目標を攻撃しました」と報告できるだろうか。二次的目標と思って魚雷を投下したパイロットはいなかった。

(5)総括
 戦記の常識とは裏腹に真珠湾攻撃の作戦自体も実行も不完全であり、多くの側面において必ずしも当時の世界の最先端をいくものではなかった。

・計画は基本的に柔軟性を欠いていた。戦艦攻撃兵器九七式艦上攻撃機は徹甲爆弾も魚雷も搭載可能であるが兵器の配分は計画初期に行われており、この配分は訓練、テストさらには真珠湾に魚雷防御網が敷設されていないとの最終情報によっても変更、調整されることはなかった。魚雷についての最大の課題は浅海面雷撃ができるかだが、これはぎりぎり出撃二週間前に解決された。
・計画者は浅海での魚雷攻撃の問題、魚雷防御網の有無に関わらず戦艦攻撃をすると決めていたので、このことが九七式艦上攻撃に高高度爆撃をさせるための爆弾を過剰配分する結果になった。攻撃隊全体としての最適成果をあげるための配慮はなされず、潜在攻撃能力は十分発揮されなかった。

・徹甲爆弾の多くは正しく炸裂しなかった。
・訓練の段階から戦闘機、水平爆撃機、急降下爆撃機の連携、調整が欠けていた。
・日本軍は攻撃二十四時間前に詳細な諜報情報を得ていたにも関わらず計画の修正をしなかった。参謀たちは空母不在の情報を受けていながら当初の計画に固執して予定通り不在の空母泊地を攻撃させた。この硬直性はあらゆる局面にみられた。
・日本海軍はとくに在ハワイの予備士官吉川猛夫が長期にわたり極めて優秀な諜報活動をしたが必ずしも有効に活用されなかった。
・九七式艦上攻撃機へより多く魚雷を配分していたら米側の被害ははるかに大きかったであろう。このため破壊可能な魚雷目標八隻のうち三隻は被雷を免れた。
・計画は奇襲成功をすべての前提としており強襲になる可能性も高いに関わらず対応は一切とられなかった。当然二次攻撃以降は一〇〇%強襲である。従って雷撃機への戦闘機による対空砲火制圧による支援は考慮外であった。雷撃機は攻撃の瞬間まで一切援護を受けず砲火に晒された。
・雷撃機の為の計画は杜撰で攻撃ルートの交通整理は全くされておらず互いに干渉しあうことになり目標照準、攻撃を大きく阻害した。
・日本軍の目標についての優先スキームは実行しがたいものであった。その責任は搭乗員に任されたが彼らには十分な情報がなく、相互の通信手段もなかった。
・淵田が攻撃信号の不手際で二発発射したことで攻撃順序に大きな混乱が生じ攻撃機の間の緩衝、攻撃の不正確さや犠牲の原因となった。
・日本軍の空中通信は極めて非効率であった。とくに淵田の初動の不手際によって後続の指揮官は効果的な指揮ができなくなった。雷撃機の場合は指揮官機に続いて十二機の爆撃機が五百ヤード以上の間隔で一直線に突っ込む戦法なので初動の混乱の影響は大きい。
・急降下爆撃機のネバダへの攻撃は兵器の不適切な使用であった。攻撃の目的達成には何の寄与もなかった。
・水道で戦艦を沈めて軍港を封鎖する考えは中途半端で極めて拙劣な決断であった。
・艦隊目標に振り当てられた急降下爆撃機は殆ど貢献しなかった。この任務に充てられた八十一機のうち主目標である巡洋艦に命中させえたのは二機にすぎない。八隻いた巡洋艦のうち六隻は大きな被害を免れた。
・急降下爆撃機の二百五十㎏爆弾の相当数は欠陥品であった。
・急降下爆撃機の目標の特定は余りに拙劣であった。補給船を戦艦、駆逐艦を巡洋艦、乾ドックを戦艦と錯覚するなどひどいものだった。
・戦闘機の用法についての計画も拙劣だった。第一波の戦闘機による援護も攻撃における重要性にそったものではなく、雷撃隊も全くエスコートされず上空援護もなかった。