真珠湾攻撃に関わる従来の通説の殆どは間違っている。
・日本軍はスーパー搭乗員の部隊を使わなかった。翔鶴、瑞鶴などの搭乗員は極めて経験が浅く地上攻撃にむけられた。日本海軍の搭乗員が急速に練度をあげてピークに達するのはインド洋作戦の頃であろう。
・第三波の攻撃をしたとしても真珠湾全体の修理能力にさしたる影響はでなかった。被害が出ても短期間に回復可能であった。戦争日程には大きく影響はなかったとみられる。
・燃料タンクは日本軍の攻撃で殆ど破壊されたかもしれないが回復可能である。それにより太平洋艦隊が真珠湾を放棄することはありえず戦争日程にも重大な影響はでない。
・日本の十四部の外交文書は宣戦布告とはみなされず、仮に間に合ったとしても、卑怯な奇襲であるとして米国民が激怒したことに変わりはない。
・五番目の特殊潜航艇が潜入してオクラホマやアリゾナへの雷撃に成功した可能性は極めて小さい。さらに駆逐艦ウォードが攻撃より一時間以上前に他の特殊潜航艇を撃沈している。これは通常であれば真珠湾全体が直ちに緊急態勢に入る事件である。レーダー探知された未明の水上偵察機の偵察機の動きと言い日本海軍の奇襲の可能性は完全に消滅していた筈である。

 真珠湾攻撃についての従来の解釈は歴史的事実を大きく歪曲しており、権威ある戦闘指揮官の言葉であっても額面通り受け入れるのは危険である。

的確な南雲長官の判断


 第三次攻撃をしなかったことで南雲忠一長官は臆病な提督との不当な烙印を押されてきた。評論家の多くが海軍工廠、修理施設、潜水艦基地さらに燃料タンク群を攻撃しなかったことで日本が大きな機会喪失をしたと指摘している。
『真珠湾は眠っていた』の共同著者であるゴールドスタインおよびデイロンに至っては、個々の艦船を破壊するよりも太平洋艦隊をより効果的に無力化できたであろうとさえ述べている。米国海軍は「日本軍は真珠湾海軍基地の陸上施設を攻撃しなかったが、これらは第二次大戦における連合軍の勝利に重要な貢献をした」との公式見解を出した。これらの評価は他ならぬ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツの「戦争を二年長引かせたであろう」とのコメントに由来するとみられる。しかし第三次攻撃につき淵田から南雲長官に強い進言があったともいわれるが、それを裏付ける証言は全くない。現実には筆者の分析によっても、第三次攻撃によって得られる施設、燃料タンク群の破壊効果は限定的である。
 南雲はもともとこの作戦の成功の可能性には懐疑的であり、潜水艦のミスで奇襲の前提が崩れることを恐れていた。参謀長の草鹿龍之介も攻撃により仮に目先の優位が得られても長期的成果の保証はないと冷めた見方をしていた。味方機の犠牲は第一次攻撃の九機から第二次攻撃は二十機と急増しており、米軍の迎撃態勢も出来ていることは間違いなく、何よりも二隻の航空母艦の行方が不明である。所在不明の空母がいかに潜在的脅威であるかはミッドウェーで証明される。南雲は攻撃重視の連合艦隊に危惧を持ち、空母の喪失は日本の攻撃能力を削いで敗戦に繫がりかねないとして提言したが殆ど退けられた。
 筆者の分析においても第三次攻撃は僅かな追加的な戦果のためにすべてをリスクに晒すことになったであろう。この上ない責任と重圧のもとで南雲は最少の損失で自己の使命を完全に全うした。第三次攻撃についての南雲の名誉は回復されるべきである。