キンメル大将とショート中将の失態


 米国太平洋艦隊司令長官ハズバンド・E・キンメル大将は不当な扱いを受けスケープゴートにされたと見る向きが多い。キンメルはワシントンが必要な情報を伝えなかったと主張。さらに三百六十度の哨戒に必要な飛行機が不足していたと訴えたが、ハイリスク期間の短期哨戒は可能だった。キンメルは十二月七日以前にワシントンから極めて高度の「戦争警告」を受けている。さらに東南アジア侵攻のための日本の大船団が移動中との情報を得ており、実際十二月六日に日本海軍の九〇%は出動していた。当然哨戒をさせるべきだった。「外方哨戒線」への哨戒を実施していれば日本の空襲部隊の接近を発見して攻撃四十分前に警告できたはずである。四十分あれば地上の飛行機を分散配置して、準備できた飛行機を離陸させ、対空射撃態勢を十分整えられたはずである。

 最も不足していたのは航空情報センター(AIC)が機能していなかったことである。機能していれば四十分の事前警告は可能で艦隊および陸軍の対空防衛体制をとらせるのに十分であった。AICの運用テスト成功後も機能させる措置をとらなかった責任の一端がある。キンメルは攻撃七週間前の十月十四日に以下の永続命令を発令している。

 「宣戦布告に先立ち(1)真珠湾内の艦船への奇襲、(2)運用エリアにおける艦船への潜水艦攻撃、または(2)両方の組合せの可能性がある」

 軍事基地としての真珠湾の防衛責任者がウォルター・ショート中将だった。ショートは攻撃前夜まで高度の警戒レベルを維持していたが、不可解なことに「戦争警告」を受けるとショートは弾薬を弾火薬庫に戻し、移動高射砲を倉庫に移し戦闘機パイロットに基地を離れることを許可し、戦闘機を整備に回したその弾薬を格納庫にしまわせた。ショートは事実上、防空体制の武装解除をした。日系人のサボタージュを警戒して飛行機の翼がつくように付けて並べた。これらのすべては戦争が切迫しており、日本船隊が移動中との情報を得た後である。ショート中将は職務を果たすのに十分な人と装備を有していた。AICが機能して適切な警告がされていれば陸軍の防空部隊が日本軍に痛打を与えていたはずである。

四十分の明暗


 十二月七日の陸軍の防空は完全な停止状態だった。前週までは高度警戒の防衛でパイロットは自分の飛行機で待機、日の出とともに哨戒に飛び立ち高角砲は実弾を装塡し待機していたのと対照的である。
 攻撃数カ月前に陸軍では英国のバトル・オブ・ブリテンで使われた航空警戒サービス・システムに倣ったレーダーと観測員からなるAICを構築した。AICは空襲の二カ月以上前、一九四一年の九月二十一日に試験が成功していた。艦載機を使ったテストではオアフから八十四マイルで捕捉、防衛側に四十分の余裕を与えた。このシステムは敵味方の識別はまだできなかったが、空母発進の大編隊は十分識別できた。但し、ショートとキンメルは将校を配備しての運用開始を開戦後としていた。
 十二月七日、AICのレーダーサイトの一つがオアフ島北方百三十六マイルに攻撃隊を補足した。その前には二機の水上偵察機を追跡している。AICが動いていれば太平洋艦隊と陸軍は警戒態勢をとるほぼ五十分の時間があった。