ポポフは、当初からイギリス当局に人間的に信用され、有益な情報をもたらす優秀な二重スパイとみなされたことがうかがえる。MI5が終戦までポポフの英国への忠誠心とインテリジェンス内容に信を置いていたことは間違いない。いかにポポフに浪費癖があってもMI5はその莫大な経費を工面した。後に米国で娯楽や社交に使った総額八万六千ドルもの借金も肩代わりしている。インテリジェンスの世界では、現場で情報を集めることと同時に前線から送られてくる情報の価値を正しく判断する中枢の分析が肝要である。MI5では信頼したポポフ情報を最大限に評価して国策に生かしたのである。

 その最大の功績がノルマンディー上陸作戦を支えた欺瞞作戦であった。ダブル・クロス委員会では大戦中にドイツ側スパイ三十九人を「転向」させてイギリス側の二重スパイとして戦略的にドイツに偽情報を送り、ドイツ軍を混乱させたが、中でも最も優秀な五人がDデイ作戦を成功させ連合軍の勝利に導いた。とりわけ傑出していたのがポポフだった。

 このほかポポフは①ドイツのロケット開発と攻撃状況をイギリスに伝えた、②ドイツが超高細密の印刷技術を使って開発した極秘連絡手段「マイクロドット」を英米両国にいち早く知らせた──などの功績があった。このためポポフは大戦終了時に英国国籍を得たほか、戦後、秘かに名門ホテル「リッツ」でイギリス王室から叙勲の栄誉に浴している。英国に忠誠を尽くした見返りだった。

ドイツから七億円


 ドイツから活動資金を引き出し、MI5の資金とする「ミダス計画」は二重スパイとしてポポフが英国に貢献した真骨頂であった。ミダスとは、ギリシャ神話に登場する王で、手に触れるものすべてが金に変わったといわれる。この神話を参考にして、ポポフはドイツ側からの信用を背景に英国内でのエージェントへの活動資金を名目に大量の資金をドイツ側から調達してMI5に提供したものだった。

 英国のインテリジェンス研究家、マッキンタイヤーは「ミダス計画は、大戦中で最も利益を上げながら最も知られていない作戦の一つになった。ポポフは手数料として一〇%を取って英国での諜報活動に資金提供されることにドイツ側は大喜びした」と『英国二重スパイ・システム』で書いている。これで「ダブル・クロス・システム」は資金調達の心配がなくなり、利益があがるようになった。二十委員会委員長のジョン・マスターマン卿は、「ドイツ側が、彼らの組織であり我々の組織でもある集団に一九四〇年から一九四五年の間に供給した資金は、当時の額で八万五千ポンドほどであった」と述べている。これは現在の価値で四百五十万ポンド以上(日本円で約七億円)に当たる。

MI5副長官の悔恨


 日本にとって最も重要なのは、ポポフが真珠湾攻撃情報を得て報告していたことだ。ポポフは真珠湾攻撃の四カ月前の一九四一年八月、ドイツのスパイとして米国に派遣される際、ドイツから渡された「質問表」の中で、枢軸側が真珠湾に大きな関心を持っていることを把握し、親友のイプセンから得た情報と重ね合わせ、日本軍が真珠湾攻撃に踏み切る可能性があることをんだ。これを米FBI(連邦捜査局)に伝えたものの、フーバー長官は信用せず、個人的に握りつぶしたと回想録『スパイ/カウンタースパイ』に著している。ところが、報告を受けたMI5は逆にポポフ情報を信用していたことをうかがわせる秘密文書が英国立公文書館にあった。
 MI5の防諜担当部署、セクションBのトップ、ガイ・リッデル副長官は内気で、チェロを弾くのが趣味の「スパイ・ハンター」だった。リッデル副長官は大戦前から膨大な日記を残しており、そこには秘密機関MI5が大戦中に展開した情報活動の実態が赤裸々に描かれている。その原文が英国立公文書館で秘密解除されている。リッデル副長官は、真珠湾攻撃から九日後の一九四一年十二月十七日の日記(KV4/189)に『トライシクルの質問表』という形で「真珠湾情報」について記していた。

トライシクルの質問票
トライシクルの質問票
〈『トライシクルの質問表』は今、われわれ(MI5)の手元にある。これは八月にドイツ人たちが真珠湾について特別に関心を示し、可能な限りのあらゆる情報を入手したがっていたことを極めて明瞭に示している〉

 ポポフがドイツの情報機関から米国に派遣される際、渡された「トライシクルの質問表」(調査リスト)には真珠湾の軍施設、米艦隊の状況を偵察する指示があった。それが真珠湾攻撃九日後、「今、われわれ(MI5)の手元にある」と書いているのだ。回顧録『スパイ/カウンタースパイ』でポポフは英国側に質問表を渡し、ドイツ(日本)による真珠湾奇襲の警告を発したと書いている。
 リッデル副長官が真珠湾攻撃から九日後の日記に「トライシクルの質問表」を持っていると書いたのは、ポポフの証言通り、警告の意を含んだ「質問表」がMI5に伝えられて組織内で情報共有されていたことを示している。「われわれの手元にある」というのは、MI5が国家の命運を左右する貴重なインテリジェンスとして評価していたことを意味している。
 では、「質問表」とは一体何であろうか。『スパイ/カウンタースパイ』によると、「トライシクルの質問表」は、ポポフが四一年七月、ポルトガルのリスボンでドイツ側のコントローラーであるアプヴェール(国防軍情報部)のリスボン支部長、フォン・カルストホーフから「米国でスパイ網を組織せよ」との指令を受け、渡された調査リストだった。