「開戦前夜」日本を把握


 渡米するためポポフがリスボンに渡ったのは四一年六月。この頃、イギリスでは極東の植民地を脅かす仮想敵国、日本の動向に警戒を強めていた。リッデル日記(KV4/188)にもそのことが記載されている。
 ドイツがソ連に侵攻したのは六月二十二日だが、その約二週間前の六月六日付で、「ドイツはロシア国境に軍を集中させ、侵攻の準備を進めている。日本も、それに続く兆候がある。イギリス国内でほぼ全ての日本の企業が国外退去を始めている」と記載し、MI5がドイツのソ連侵攻と共に同盟国日本が戦争に加わる兆候を嗅ぎ取っている。
 さらに六月九日付では、英国のアジア植民地を脅かす日本の行動も記している。

〈シンガポール支部から(マレー作戦に向けて活発化させている)日本の(諜報)活動を十分カバーできないとの不満が寄せられている。急遽、オフィサーを派遣する指示を出した〉

 日本がマレー半島で侵攻作戦に向けたインテリジェンス活動を積極的に進めていることを把握しながら、対処できないもどかしさを吐露している。
 さらに七月二十八日、日本が日米関係に決定的な亀裂をもたらし、開戦不可避となる南部仏印進駐を始めると、七月二十五日付で「日本はインドシナの占領を始める」と書いている。翌二十六日には、「リスボンのエージェントは日本の公使から、『日本が(石油を狙って)オランダ領東インド(現在のインドネシア)侵攻を検討している』ことを聞きだした」と記しており、日本が資源確保のため東南アジアに進攻する計画を英国が早い段階でんでいたことがわかる。

 十二月に入ると、一日付で、「日本は領事館の電話線を切った。一般市民を含む日本人を抑留する協議をした」「もしも日本が宣戦布告すれば、東京から各国大使館に暗号無線で知らせるだろう。BBCが注視している」「在ロンドン日本大使館は暗号機の解体を指示した」などと記している。経済制裁などで追い込んだ日本が宣戦布告せざるを得ないことを予測していたとも受け取れる。MI5は対日戦が間近に迫っていることを明確にんでいたことは間違いないだろう。

 六日付では、「アメリカは日本がタイを攻略(マレー作戦)すれば、完全にサポートすることに同意した。日本の軍艦に護送された輸送船がタイに向かっている。侵攻(マレー作戦)は差し迫っている」と記している。二日後に控えたマレー作戦開始の動きをリアルタイムで捉えていた。MI5は日本が「開戦前夜」にあることを掌握していた。とすれば、マレー作戦のみならず対米戦の端を開く真珠湾攻撃も相当の情報を得ていたと考えられる。英国は日本の対米英開戦への動きを正確に捉えていた。その中でポポフから寄せられた「質問表」による真珠湾情報が情勢判断の中心にあったことは想像に難くない。
 ポポフは「自分とイプセンは、この『質問表』が日本軍による真珠湾攻撃の可能性を示唆していることに最初から気づいていた」と語っている。
 リッデル副長官は毀誉褒貶が激しい二重スパイのエース、ポポフに信を置いていた。「質問表」が届いた四一年八月十四日付の日記(KV4/188)に、こう書いている。

〈部内でトライシクルの扱いにねじれがある。彼が海外で入手する情報は私たちには死活的に重要だ。トライシクルと私たちの目的は同じだから彼を自由に行動させ、海外で得る情報をもっと注意深くカードとして利用すべきだ〉

 ポポフが渡米して四カ月後に日本軍は真珠湾を攻撃し、米国が参戦した。連合国は歴史を変えたかもしれない重要な秘密情報を見逃してしまったのだろうか。

 ベン・マッキンタイアーによると、ポポフの上司のター・ロバートソンは、「私たちが犯したミスとは、真珠湾情報を取り出して別個にルーズベルトへ送らなかったことではない。フーバーがこれほど救いようがないバカだとは誰一人思わなかったのだ」とFBIを非難している。
1941年10月の真珠湾
1941年10月の真珠湾

「ワレ遂に勝利セリ」


 ポポフを統括した二十委員会のマスターマン卿は『二重スパイ化作戦』で、自責の念を込め、「重要性」を強調すべきだったと書いている。

〈(日本と)アメリカが戦争になったとき、真珠湾が最初に攻撃されること、そしてその攻撃の計画が一九四一年八月までにかなり進んでいたことをこの(ポポフの)質問表が極めて明確に示唆していた。明らかに質問表を正しく評価して、そこから推論するのはわれわれではなく当然アメリカの仕事だった。とはいえ、われわれの方がその事情とこの人物(ポポフ)をよく知っていたのだから、もっとその重要性を強調すべきだった。さらに数年の歳月を重ね、経験を積んでいたら、きっとわれわれは肘鉄砲をくらう危険を冒しても、アメリカの友人たちにその書類の重要性を指摘出来たに違いない〉

 副長官のリッデルの日記に記されていたことで、ポポフの「質問表」の真珠湾情報は、少なくともMI5では、国家の命運を決する最重要情報として位置付けられていたに違いない。そして、そのインテリジェンスは米国FBIのフーバー長官にもみ消されたものの、英国の最高責任者のチャーチル首相に伝えられていたと考えるのが自然だろう。チャーチルは日本が真珠湾攻撃することを事前に察知していたからこそ「奇襲」の一報に接して、「ワレ遂に勝利セリ」と叫んだのではないだろうか。

おかべ・のぶる 一九五九年生まれ。産経新聞ロンドン支局長。八一年、立教大学社会学部社会学科を卒業後、産経新聞社に入社。社会部で警視庁、国税庁などを担当後、米デューク大学、コロンビア大学東アジア研究所に客員研究員として留学。外信部を経て九七年から二〇〇〇年までモスクワ支局長。『消えたヤルタ密約緊急電──情報士官・小野寺信の孤独な戦い』(新潮選書)で第二十二回山本七平賞を受賞。ほかに『「諜報の神様」と呼ばれた男』(PHP研究所)などの著書がある。