今回は特に、前作が『まれ』だったことが大きい。世界一のパティシエになる夢を追う女性を描くこと自体は悪くないが、物語としてはかなり迷走気味で、脚本にもご都合主義が目立った。それに比べると、『あさが来た』は実話をベースにしている分、物語の骨格がしっかりしている。“女性の一代記”ドラマとして成立するだけの実質が広岡浅子にあるからだ。

 また、時代設定が幕末から明治という大激動期である点も有効に働いている。現代は明日が見えにくい閉塞感が漂っているが、今とは比べものにならないほどのパラダイムシフト(社会構造の大転換)があった時代を、ひとりの女性がどう生き抜いたか、視聴者は興味をもって見ることができる。

 さらに、舞台が関西であることにも注目したい。同じ時代であっても、立つ位置によって異なる視点から眺めることができるからだ。そこに発見もある。また幕末維新ものの多くは、江戸を舞台にすると武家中心の話になってしまう。武家の場合、しきたりに縛られてあまり面白くないが、『あさが来た』では大阪の商人たちが自由で伸び伸びと活躍する様子が新鮮だ。

登場人物と役者たち


 ヒロインに抜擢された波瑠は、これまで何本かの主演作はあるものの、女優としては発展途上という印象だった。どちらかといえば、やや捉えどころのない、どこかミステリアスな役柄が多く、“女傑”が似合うタイプとも思えなかった。

 しかし今回は、いい意味で裏切られたことになる。意外や、明るいコメディタッチも表現できることを証明してみせたのだ。加えて、まだ女優としてはこれからという波瑠のたどたどしさ、素人っぽさが、両替商の若いおかみさんや炭鉱の責任者といった場における初々しさに、うまく自然に重なった。視聴者側からいえば、応援したくなるヒロイン像になっている。

 また確かに美人女優ではあるが、現代劇ではどこか生かしづらかった容貌も、このドラマの時代設定にはマッチしており、日本髪と和服がよく似合う。トータルで、非常に効果的なキャスティングとなった。

 しかし、ドラマは主役だけでは成立しない。周囲に魅力的な登場人物が必要になる。その点でも、いくつか秀逸なキャスティングが行われている。

 前半で大活躍したのが、姉のはつ(宮崎あおい)だ。性格も生き方も異なる姉の存在が、このドラマにどれだけの奥行きを与えてくれたことか。『花子とアン』で成功した、一種の“ダブルヒロイン”構造の踏襲だが、そこに宮崎あおいという芸達者を置いたことで、視聴者は2つの人生を比較しながら見守ることになった。