就寝中に「反日親ソ」ささやく放送


 ──お父さんはどうしていたのですか。

 金谷 何かね、友人と一緒に何か仕事の手伝いをしてたらしいんですが、カネがたまると「何月何日、船で脱出するぞ」と言われたことが二度ある。でもポンポン蒸気みたいな船で、夜中に出て必死に進んだはずなのに、明るくなったら港のそばにいたというのを結構聞いていた。海流で戻されちゃうんです。すぐ捕まって場合によったら銃殺、殺されなくてもシベリア送り。だから私ははっきり断りました、親父に。戦後しばらくたって、親父は茶飲み友達に私を指して「俺は、こいつに、実は二度ほど助けられた」と言うんで、何のことか聞いたら、脱出船のことだと言ってました。

 ──洗脳に話を戻しますと…。

 金谷 いよいよ樺太を後にする段になると、収容所へ二週間くらい入れられて、いろいろと検査受けるんですよ。思想面がどうの、色合いがどうのと、全部調べられる。昼間だけじゃないんです、それが。蚕棚のようなベッドに寝てますとね、毎晩囁くような女性の声で洗脳が始まるんです。おもしろいですね。

 ──放送ですか。

 金谷 放送。声を低めて「日本帝国主義は人民を搾取してどうのこうの」「資本家だけ富を独占し、あなたたちは搾取され苦しんだんです」ってね。「それに対して社会主義の何とかは」「ソビエトでは人民が平等に…」と。寝てる間に聞かされると印象に残ると言われるじゃないですか。僕は耳ふさいでいましたけどね。

 ──一晩中ですか。

 金谷 いつも途中で寝てしまいましたから、一晩中かどうかはわからない。でも一定の時間はやってましたね。他にも「耳障りだ」という人はいたけど、耳栓してるのがわかると怒られたから、わからないようにそっとしてたんです。

 ──二週間続くと苦痛ですね。

 金谷 それよりも参ったのはね、一週間目くらいに中学の担任だった先生が一緒に入っていて、同じ船に乗る予定だったんですけど「おお金谷君、お前はここに入ってる中学生を代表して、党と」、党っていうのはソ連共産党ね、「党とスターリンに感謝文を書け」って言うの。「冗談じゃありませんよ」と断りました。先生は「そうか」って一旦は引き下がったんですけど、その日のうちにまた私のいる部屋に来て「さっきの続きだけどな、やっぱりお前に書いてもらわんとだめだ」と言う。「どうしてですか」と聞くと、「いやいや、ソ連の担当官から、どうしても誰かに書かせろって俺が責められてんだ」って。私じゃなくてもいいんだけど、先生は教え子の私に頼みやすいから「俺の顔を立ててくれ」と。

 親父に一部始終話したら「まあしょうがねえな。書け。ただしわかってるな、本心がわかるようなことは書いちゃいかんよ」と言うので、「書きますよ」と返事したら、先生は原稿用紙まで持ってきたんですよ。

真岡「九人の乙女」は顔見知り


 ──何と書いたんですか。

 金谷 おべんちゃらですよね。「おかげさまで、この約二年間、私が今まで体験したことのない世界を見せてもらいました。いろいろと教えてもらいました。大変感謝しています。日本へ帰ったら、天皇制を打破し、社会主義国家建設のために働くことを誓います」なんて調子でしたね。最後に署名して。

 ──「おかげさまで」の前は「誰」を入れたのですか。

 金谷 もちろん「ソビエト共産党、スターリン閣下」です(笑)。自分で書きながら、いやで仕方なかったんですけどね。しかし書かないと…。

 ──船に乗せてもらえない。

 金谷 そう、乗せてくれないか、先生が窮地に立たされるか。だから「ここまで来たら目をつぶれ」と自分に言い聞かせた。そこに船いるんですから。そしたら、収容所の掲示板に原稿を貼られちゃって参った。苦し紛れに書いたのをわかってる人もいたけど、やっぱり変な目で見る人もいて、ずいぶん尾を引きました。

 ──船は大泊から?

 金谷 いえいえ真岡から函館。ずいぶんかかりました。揺れるし。赤十字だから乗ってすぐおにぎり出してくれ、食べたかったけど船酔いで戻しちゃうから我慢した。函館に上陸したらケロッと治って無性に腹減って、食べましたよ。何とも言えない、あんなうまい握り飯はなかった。

 ──そうでしょうね。

 金谷 母親と弟が迎えに来てました、迎えにね。でも船から降りたのはまるで浮浪者の団体。まずヤンキーがね、米兵が全部検閲する。皆シラミだらけだから、収容所で。頭から背中からDDT(殺虫剤)ぶっかけられてね。でも、見るとスマートなんですね、米兵は。着てる服装もいいし。パン屋の旦那みたいな帽子かぶって。新鮮に見えました。

 ──ソ連兵とは違いますか。

 金谷 ソ連兵は野暮ったいったらありゃしない。

 ──体格も貧弱なんですか。

 金谷 いや、ソ連の方が頑丈でした。ボディ自体は。すごいですよ。やっぱりスラブの民族ですな。だけど身に着けてるものは粗末でした。靴下っちゅうものを持ってないんですよ。ご存じ?

 ──へえ。

 金谷 戦時中で靴下なんか作ってる暇なかったんでしょう。彼ら長靴(ちようか)履いてるから、足を時々きれいにするのに脱ぐんです。すると足の周りを布で巻いてるの。合理的ですよ。前も後ろもないんだもん。風呂敷を巻き付けるようなもん。「なるほどな」と、僕らも参考にしました。暖かいし、汚れりゃ前も後ろもない。

 ──話が戻りますが、真岡で郵便局の九人の電話交換手が自決しました。あのお姉さんたちと話ししたことなどはありますか。

 金谷 ええ、知ってますよ。特に親しいわけじゃないけど、郵便局へ用事で行った時お目にかかって、たわいのない会話をした覚えはあります。僕らより五つ、六つ上でしたかね。おふくろは、その一人が知り合いの娘さんでよく知ってると言ってましたね。
日本人が忘れてはならない真岡郵便局㊤で起きた電話交換手㊦の集団自決事件。交換手の9人の乙女はソ連軍が目前に迫っても邦人避難の通信確保のため任務を続け、「皆なん、これが最後です。さようなら、さようなら」と通信して青酸カリを呑んだ。ブレスト(交換手用ヘッドホン)と回線のプラグを握りしめた姿の遺体で発見された(稚内市の北方記念館所蔵)
日本人が忘れてはならない真岡郵便局㊤で起きた電話交換手㊦の集団自決事件。交換手の9人の乙女はソ連軍が目前に迫っても邦人避難の通信確保のため任務を続け、「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」と通信して青酸カリを呑んだ。ブレスト(交換手用ヘッドホン)と回線のプラグを握りしめた姿の遺体で発見された(稚内市の北方記念館所蔵)