かすかな希望を次世代に


 ──全国樺太連盟は平成三十二年度めどの解散を決めていますね。

 金谷 樺太という存在を後世につなごうと我々やってきました。でも政府は何もしないし、一生懸命やっても届かない、僕ら元住民の声がね。そのうち皆年を取って、どんどん亡くなっている。
今も真岡に残る王子製紙真岡工場の廃墟。南樺太が日本の領土であり、そこに暮らした人々の暮らし、活発な産業の様子を物語っている
今も真岡に残る王子製紙真岡工場の廃墟。南樺太が日本の領土であり、そこに暮らした人々の暮らし、活発な産業の様子を物語っている

 ──ソ連不法占拠から七十年。

 金谷 今の事務所のすぐ近くに「樺太会館」というビルがあったのを売って何とか法人活動を続けていますが、それがなくなれば終わり。昔は寄附してくれた人や企業もいたけど、悲しいことに今は全然です。

 ──日本遺族会も同じ状況ですね。

 金谷 そうなんです。あまりに政府が何もしないし、国民にも「サハリンはロシアのもの」みたいに誤解が広まって、元住民の二世、三世ですら振り向かなくなりつつある。だってNHKがね、稚内から「はるかサハリンが見えます。中心地ユジノサハリンスクは…」ですから。「樺太」「豊原」と一言も言わない。領事館開設も影響も大きいですよ。

 ──絶望的ですか?

 金谷 いや、こんな中でも、たとえかすかでも、希望は捨てません。志のある次の世代がいる限り。


かなや・てつじろう 昭和六年樺太・真岡町生まれ。旧制真岡中学二年生で終戦を迎え、現地に二年近く現地に抑留される。終戦直後に北海道に疎開していた母や弟と再会。滝川町の旧制滝川中学(現滝川工業高校)三年に編入し、新制高校として卒業。三十一年横浜市立大学商学部卒業と同時に野村證券入社。三十四年同證券などが設立の東洋信託銀行に転籍し、六支店の支店長を歴任。六十一年定年退職で系列企業役員を経て、平成五年から三年間日本住宅金融の監査役を務めた。全国樺太連盟には昭和五十一年に入会し、千葉県支部長を経て平成十四年理事、二十二年から副会長。息子は病死し、娘に大学生の孫二人。「今は二つ下の妻と〝老老介護〟ですよ(笑)」。数少なくなった「樺太の生き証人」として講演やインタビューなどに積極的に応じている。