中共の思想工作でデタラメ証言


 野坂は昭和十五年に中国に渡って延安で中共に合流し、毛沢東の支持のもと「日本労農学校」や「第二学校」で日本人捕虜の思想(洗脳)教育を始めた。これはシベリア「民主運動」に先行する日本人捕虜の思想教育である。思想改造された捕虜は昭和一九年二月に野坂が結成した「日本人民解放連盟」に入れて日本軍への宣伝、宣撫工作をやらせた。

 中共と野坂参三は天皇制批判を「日本軍国主義者」批判に置き換え、君民一体の日本人を「悪い軍国主義者(軍閥、財閥)」と「だまされた日本人民」に分断し対立させた。この二分法を中共はその後一貫して日本批判に使っている。それだけではない。GHQも同じ二分法を利用して日本人を洗脳した。
日本兵捕虜が抑留されたウクライナ東部ハリコフに残る第415収容所。現在は倉庫になっている
日本兵捕虜が抑留されたウクライナ東部ハリコフに残る第415収容所。現在は倉庫になっている
 延安では軍国主義批判と共産主義思想の注入が続いた。洗脳の手法として自己批判と集団批判が重視された(シベリアと同じである)。こうして日本人捕虜に侵略者としての罪悪感、贖罪意識を植えつけて反戦兵士に仕上げた。やがて日本人全体を精神的捕虜にする狙いだったという。

 昭和二十五年七月、スターリンは毛沢東との合意に基づきシベリア抑留者の中から中国に対する「戦犯」として九百六十九人を中国に引き渡した。彼らは撫順戦犯管理所に入れられ、ソ連とは違って衣食住で好待遇を受け、寛大に接遇されるなか巧妙で執拗な思想改造(洗脳)が行われた。日本人が他人の好意に弱いことを見抜いたうえでの好待遇である。これはもちろん延安での日本兵洗脳方法をさらに徹底したものだった。

 「罪を認めれば寛大な処置を受けられ、罪を認めなければ厳しい処置を受けなければならない」という露骨な圧力のもとで自白(認罪)を迫られた。ソ連ですでに五年の苛酷な抑留を強いられた後のさらなる抑留であり精神的負担は非常に重い。こうした状況下での自白が任意のものとは到底いえない。

 中共帰りの「戦犯」はほぼ半数が「中国帰還者連絡会(中帰連)」を組織して熱心な日中友好運動と日本軍の「悪行」の暴露を行った。中帰連が暴露した「三光作戦」や「中国人強制連行」などの日本軍「悪行」証言は虚偽であると検証されている(田辺敏雄『検証 旧日本軍の「悪行」』)。それでも中国に対する贖罪感、罪悪感は根強く日本社会に残る。

洗脳の成果としてのリベラル派


 エマーソンは日本に三度滞在経験のある日本専門家である。エマーソンらOWIのスタッフは延安での見聞を「延安リポート」として報告している。その主な内容は中共の八路軍による日本兵捕虜の扱いや野坂参三主導の日本人反戦捕虜による日本軍民への宣伝・宣撫工作であった。

 産経報道によると、エマーソンは昭和三十二年三月に米上院国内治安小委員会で証言し「岡野(野坂)と日本人民解放連盟が行った活動の経験と業績が、対日戦争(政策)に役立つと確信した」と述べた。こうして野坂の延安での洗脳工作の手法はGHQの対日思想工作に取り入れられた。それがWGIPである。

 GHQにはアメリカの戦略情報局(OSS、CIAの前身)にいたヘルベルト・マルクーゼやハーバート・ノーマンらの共産主義者やシンパが加わっていてGHQの占領政策に影響を与えたが、こうした共産主義者の人脈以外に、エマーソンを介して中共の洗脳方法が取りいれられるという二重の意味で共産主義が影響力を及ぼしていたわけである。

 野坂参三は昭和二十一年一月には帰国しており、ノーマンの尽力で釈放されていた日本共産党の幹部徳田球一らとともにGHQを「解放軍」と位置づけて協力していくのである。

 WGIPが日本人に広く定着して行った背景に共産主義者がいたことは重要な歴史的事実であろう。日本の左翼リベラルが最もよくWGIPに染まり、戦後思想をリードしたのも理由があったといえよう。昭和二十七年四月にGHQの占領が終わったあとは、日本人がみずからの手でWGIPを引き継いで完成していく。
シベリア抑留の〝地獄〟の中で日本兵たちの命を支えた陸軍の防寒靴=東京・西新宿の平和祈念展示資料館
シベリア抑留の〝地獄〟の中で日本兵たちの命を支えた陸軍の防寒靴=東京・西新宿の平和祈念展示資料館
 戦後の日本人は戦勝国からシベリアで、中国で、そして日本本土で共産主義的な思想教育(洗脳)を受けるという敗戦国民として痛苦な体験を余儀なくされた。シベリアではおおむね失敗し、延安と撫順では成功、日本本土では大成功だった。

 戦後七十年、もう自らの手でWGIPの呪縛を解くべきであろう。



 本稿を脱稿したあとの平成二十七年十月十日、舞鶴引揚記念館が所蔵するシベリア抑留関係の資料五百七十点が「ユネスコ世界記憶遺産」に登録された。喜ばしいことで、これを機にシベリア抑留に関する理解が一層深まることを期待したい。遠隔地の人もこの資料を見られるよう主要都市での巡回展なども工夫すべきだろう。一方で、ロシアのユネスコ委員会オルジョニキーゼ書記が「政治利用だ」として登録申請の取り下げを求めたというが、申請資料の信憑性に大きな問題のある「南京事件」とは違って、シベリア抑留はロシア側でも広く研究されて事実関係が明らかになっている史実であり、しかもエリツィン大統領が来日時に謝罪もしている。日本政府は毅然とした対応をすべきである。

ながせ・りょうじ 昭和二十四年北海道生まれ。昭和四十七年北海道大学法学部卒業後、三菱ガス化学入社。体調を崩して帰郷後の平成七年、四十五歳でロシア極東国立大学(現極東連邦総合大学)函館校でロシア語を学ぶ。シベリア抑留を研究するきっかけは、北大の恩師に翻訳第一弾としてロシア側の抑留資料を薦められたこと。さらに日露の膨大な資料に当り実態に迫った六百ページ余の大作『シベリア抑留全史』(原書房)を二十五年に刊行。近著に『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』(新潮社)。訳書に『二つの独裁の犠牲者』(P・ポリャーン著、原書房)、『スターリンの捕虜たち』(V・カルポフ著、北海道新聞社)、『ウクライナに抑留された日本人』(O・ポトィリチャクら著、東洋書店)など。事実を基に日本軍民抑留というロシア国家犯罪の追及と、抑留の検証・再定義に取り組んでいる。