若い猛者でも震えた


 さてコレヒドールには彼が作らせたマリンタ要塞がある。要塞と言っても高さ六メートルの大きなトンネルで、内部の左右の壁に横穴があって、そこが隠れ場所になる。なぜ頑強な地下要塞にしなかったか。答えは彼の閉所恐怖症のせいだ。

 彼はそのトンネルの入り口で半日を過ごし、目の前のバターン半島で戦う部下をよそに毎日、新聞発表を送信していた。まるで米軍が勝ち続けているみたいな内容だった。

 三カ月後、バターンの陥落が見えてくると、彼は「I shall return」の一言とすべての将兵を残して魚雷艇で逃亡した。

 魚雷艇とはなんと勇気ある行動だと評価されるが、どうして、これも潜水艦が怖くて乗れなかったからだ。

 彼はそのマリンタのトンネルでもう一つ悪さをしている。彼は傀儡政権のケソン大統領も連れてきた。

 ケソンはこの土壇場でフィリピン人の魂を見せる。「戦争しているのは日本と米国だ。フィリピンは関係ない。私は日本に対して中立を宣したい。米国は出て行って別の場所で戦ってほしい」と。

 マッカーサーはそれを無視した。有色人種が生意気を言うな。代わりにケソンに軍事顧問としてフィリピン軍を育ててやった謝礼をよこせと要求した。「ケソンは米国にあるフィリピン政府の口座からニューヨーク・ケミカル銀行のマッカーサーの口座に50万ドルを振り込んだ」(『マッカーサーの時代』)。

 彼は「入金を確かめたうえでケソンが日本側の手に落ちないよう潜水艦でオーストラリアに送り出した」(同)。ケソンは二度と祖国に戻ることなく、そしてマッカーサーの恐喝について、祖国のあり方について語る機会をもてずに死んだ。

 マッカーサーが敵前逃亡できた最大の理由は英軍司令官パーシバルがシンガポールで日本軍の捕虜となったからだ。これで米軍司令官まで捕虜ではさすがの白人連合も恰好がつかない。ルーズベルトにすればB17を潰され、対日戦の手順もすべて彼によって狂わされてしまった。腹立たしい思いは「それでも彼に勲章を出そう」(C・ソーン『米英にとっての太平洋戦争』)という言葉に表れる。

 大統領は彼に脱出を命じ、以後、彼はメルボルンのビクトリア・バラックに一室を与えられ、そこで例のバターン死の行進の噓っぱちを捏ね上げた。半島から収容所まで百二十キロ。半分は貨車で行く。残り六十キロをコーヒーブレイク、海水浴つきで二泊していく。
バターン半島を制圧した日本軍
バターン半島を制圧した日本軍
 前述のレスター・テニーはそれを「地獄の兵役」の題で書いたが、六十キロは六十キロだ。すぐ歩き終わってしまうから、収容所で「日本軍に水責めの拷問を受けた」という。

 水責めは「板の上に大の地に寝かされ、足の方を十インチ上げる。それで汚水を漏斗で無理やり四ガロンも呑ませる」と。それは米国がフィリピンを植民地化するとき、抵抗する者をそうやって拷問した。米上院公聴会には「最後は土人の膨れ上がった腹の上に米兵が飛び降りる。土人は口から六フィートも水を噴き上げて絶命した」とある。

 日本人はそんな拷問は知らない。テニーの噓がそれでばれる。こういうのを蛇足という。

 マッカーサーの臆病で嫌な性格がこれで十分窺えると思うが、失禁につながるもっと強力な傍証もある。

 彼が厚木に降り立つ二日前、先遣隊百五十人がC46輸送機などでここに飛来した。彼らはつい昨日まで最前線で日本軍と渡り合ってきた猛者たちだが、着陸を前に「我々はひどく興奮し、怯えていた」(週刊新潮編集部編『マッカーサーの日本』)と、一番機に搭乗していたフォービアン・パワーズ少佐が語っている。

 いかに怯えていたか。同機のラッキー操縦士は南風の吹く厚木に南側から追い風に乗って進入した。

 操縦要員は必ず滑走路わきの吹き流しを見る。南の風なら北から向かい風で降りる。機速を絞りながらなお揚力を得るためだ。

 そのイロハのイを操縦室にいた全員が失念していた。「機は(失速気味に)六回バウンドしてやっと止まった」とパワーズは言う。脚を折って暴走したか、オーバーランしたか、大事故になるところだった。

 若手の猛者でもここまで震えていた。マッカーサーがいくら気張ろうが、彼の生理は正直に作動し、ちびりは止まらず、濡れジミをあそこまで大きくした。

 最後にマニラに戻ったばかりのマッカーサーと会ったカメラマン、カール・マイダンスの話を披露したい。彼は朝鮮戦争に戦場カメラマンとして参加し、ライカもなにも凍りつく中で日本のニコンの優秀性を広く知らしめた人だ。

 「マッカーサーに会うと本間雅晴へのあてつけにリンガエン湾から上陸してやったと語る。ただ残念なのはその場にカメラマンがいなかった。再現するから撮ってくれという」

 マッカーサーは一週間後に本当に部下と何百人もの兵隊まで連れてリンガエン湾再上陸を再現してみせた。

 「あの男は自分を美しく飾ることに何のためらいももたない」と。同盟通信カメラマンが「化粧していた」というのも真実味がある。

 そんな男が失禁と受け取られかねないシミをつけたままタラップを降りるだろうか。

 そんなシミのついた男が書いた憲法を日本はまだ大事に抱えている。もういい加減日本人も目覚めていいころと思うが。



たかやま・まさゆき 一九四二年生まれ。六五年、東京都立大学卒業後、産経新聞社入社。社会部デスクを経て、テヘラン、ロサンゼルス各支局長を歴任。九八年より三年間、産経新聞夕刊の辛口時事コラム「異見自在」担当。著書に『「モンスター新聞」が日本を滅ぼす』(PHP研究所)、『変見自在 オバマ大統領は黒人か』(新潮社)、『白い人が仕掛けた黒い罠』(ワック)などがある。