しかも、相撲界は実績さえ積めば、終身雇用的な仕組みが出来ている。いろいろ批判の的にもなっているが、年寄株を入手して協会に残れば、今度は協会のいわばフロント・スタッフとして働く道がある。部屋を興すか継承すれば、協会から部屋を運営する費用も補助される。日本の他のスポーツを見回しても、引退後の安定した立場が約束されているプロ・スポーツはほかにない(相撲をスポーツと呼んでいいかどうかの議論はあるが、ここではあえて他のスポーツと対照して話を進める)。

大相撲 初場所千秋楽 大一番を前に気合を入れる大関、琴奨菊=1月24日、両国国技館
大相撲 初場所千秋楽 大一番を前に気合を入れる大関、琴奨菊=1月24日、両国国技館
 角界は、こうした相撲界の良さ、待遇を広く日本の少年たちに広報する努力を怠っていた。それも、長らく日本出身力士が優勝から遠ざかっていた一因ではないだろうか。

 かつては当たり前に日本人が共有していた相撲の魅力、相撲の良さを、いまは知らない日本人が大半になった。悲しいことだが、それが現実だ。相撲の魅力をもっと世間に伝える努力が根本的に必要だ。

 手始めに、親子で相撲をする習慣を盛り上げる手立ても必要だろう。相撲が身近になれば、自ずと相撲への親しみは湧く。

 最後に、「日本出身力士の優勝」という、奥歯にものがはさまったような表現についても触れておこう。ある時期までは、「日本人力士の優勝がずっとない!」という表現だった。これがいつからか変わった。それは、平成24年5月場所で旭天鵬が優勝してからだ。旭天鵬はモンゴル出身力士だが、日本人と結婚し、優勝した時はすでに日本国籍を取得した「日本人」だった。つまり、その時点で「日本人の優勝」は果たされていたのだ。そのために今回の報道でも一様に「日本出身力士の優勝」という表現が使われている。
「日本人の優勝!」を喜び、「日本人横綱を待望」するのは、日本人の素直な感覚だと思う。だが一方で、「ボーダレス化が進む世の中で、《日本》とか《日本人》をどう意識し、守り育てるのか?」という新しいテーマも浮上している。

 10年間、日本の大相撲を支えてくれたのはモンゴル勢だったわけだし、彼らなしにはこの数年の相撲界の活況はなかった。昨秋、社会現象のようになったラグビー日本代表の活躍も、多くの外国人選手があって実現した。ここ数年、外国人を父(または母)に持つ日本人選手の台頭が多くの種目で目立っている。野球界ではオコエ(東北楽天)、陸上界では短距離のサニブラウン・ハキーム(城西大城西高)、先日全豪オープンで勝ち進んだテニスの大坂なおみ、バスケットの八村塁(明成高)、バレーボールの宮部藍梨(金蘭会高)ら、枚挙に暇がない。日本人ひとりひとりがこうした現実を受け入れ、これまでの常識や観念を新たに越えていくことも今後の重要なテーマだと思う。