そのため、まだ議論は十分でないものの、インターネット時代において、人が人として生きていくために不可欠な「新しい人権」だと捉えて良いと思います。社会科の教科書で紹介される日も近いことでしょう。

 では、日本の法律上「忘れられる権利」はどのように扱われているのでしょうか。インターネットの名誉毀損情報、プライバシー情報を削除する権利は、法律的には「人格権に基く妨害排除請求権としての差止請求権(削除請求権)」だと理解されており、ことさら「忘れられる権利」という概念を使うまでもなく、削除請求ができると考えられてきました。人格権の中には、名誉権、プライバシー権、氏名権など、人格に由来する多様な権利が含まれており、消したい情報によって、どれか1つまたは複数の人格権を選び、削除請求をすることになります。そのため裁判所の判決・決定にも、「忘れられる権利」という表現を使うものはなかったと思います。

 ところが最近、社会から「忘れられる権利」を有する、と明示した裁判所の決定が登場しました(さいたま地裁平成27年12月22日決定)。おそらく、人格権の1内容として「忘れられる権利」を位置付けているものと考えられますが、その内容は明確には記載されていません。ただ、裁判所の中に「忘れられる権利」の考え方が浸透してきたことの証左だと思います。

 ところで、忘れられる権利は、インターネットにおける「表現の自由」やインターネットを使う人の「知る権利」と対立関係にあります。なぜなら、インターネットで何かを表現したい人の「表現の自由」や何かを調べたい人の「知る権利」に対し、「忘れられる権利」を行使し、その情報公表、情報取得を制限することになるからです。そのため、忘れられる権利の行使を認めるのか(表現の自由、知る権利が後退するのか)、それとも行使を認めないのか(表現の自由、知る権利を優先させるのか)という利益調整が常に必要となります。たとえ「忘れられる権利」という概念を肯定したとしても、その先には、この利益調整を誰が担当するのか、どのような基準で利益調整をするのか、という未解決の課題が待っています。最終的には裁判所が判断することになるのでしょうが、近時、インターネットでの人権侵害事案が増加の一途にあると法務省が公表し、裁判所からも、インターネット情報の削除請求がここ数年で著しく増えたとの情報が出ており、すべての問題を裁判所の判断に委ねることには限界があると感じます。

 今後、ますますインターネットが発達し、インターネットによる人権侵害に悩む人も増えて来るはずです。そんな人たちを1人でも多く救えるよう、「忘れられる権利」の定義や使い方を考えていく必要があると思います。