私は、昨年から「朝生」でご一緒させていただいている。出演当初から感じている印象は、恐れられ、リスペクトされている数少ないジャーナリストであるということだ。「それは違うよ!」と大臣クラスの政治家にモノ申せるジャーナリストはほとんどいない。要領を得ない説明を続ける専門家に「意味が分からない!」と一喝できるジャーリストもほとんどいない。それができるのは、ジャーナリストとして、そしてエンターテイナーとしての自信と実績故であろう。

 田原氏の政治的立場も、日本政治の在り方を象徴している。日本のメディアが全般に左派的であった時代にはその真ん中にいたし、冷戦が終結し、東アジアの秩序が変化するにしたがって現実路線へと変化した部分はあっただろうと思う。その姿勢をして、時代の要請に応えたと見ることもできるであろうし、その変化を主導したと見ることもできるだろう。変化を嫌う層からも、左派からも、右派からも叩かれてきた。あそこまで左右両極から叩かれるのはホンモノだからだ。田原氏とは比ぶべくもないが、同じく左右から叩かれる私には、とても励みになる存在だ。

 人間としての氏の魅力は、あふれ出るような好奇心に支えられていると感じる。年齢と精神のあり様を結びつけて論じることは、何らかのステレオタイプを前提としており、適切な考え方ではないかもしれない。が、とにかくお若い。好奇心を持ち続ける精神は老いないのだろう。

 そして、おそろしくフェアだ。私自身、日本社会にあってこのような感覚はあまり体験したことがなく、戸惑うほどだ。議論するときは「田原さん」であり、「三浦さん」としてやっている。女性にも、若者にも、右翼にも、左翼にも、偏見がない。手加減もない。新しいと思えば取り上げるし、面白いと思えば鋭く突っ込んでくる。一瞬も気が抜けないし、とても、鍛えられる。第一線で名前を張ることの厳しさを体現している方だ。私の知る、次世代を担うであろう論客達からも深い尊敬を勝ち得ているのもそれ故であろう。

 御歳81歳ということで、「後継者」について語られることもあるが、私は、それは存在しなくていいと思っている。世の中には、類型化できない才能や存在というものがある。そうした存在に対しては、後継を求めてはいけないのではないかと。それぞれ毀誉褒貶はあるかもしれないことを承知の上で敢えて申し上げるが、石原慎太郎にも、ウォーレン・バフェットにも、ルパート・マードックにも後継者はいない。田原氏もそのような存在だ。これからも田原氏と議論できる機会を楽しみにしている。