米中の対日「二重封じ込め」は過去のものにせよ

 佐藤政権が達成した政治的成果に一九七二年の沖縄返還があるが、すでに一九六七年十一月に訪米したとき、佐藤はマクナマラ国防長官との会談において「自分は、日本の安全のため、核を持たないことははっきり決心しているのだから、米国の核の傘の下で安全を確保する」と明言してしまっていた。ニクソン大統領やマクナマラの再三の説得工作に屈してしまったのである。

 しかし、佐藤の秘書だった楠田実の『楠田日記』一九六八年九月十六日には、佐藤が楠田に「いっそ、核武装すべきだと言って辞めてしまおうか」と言ったことが記載されている。まだ、日本の核武装については大きな未練があったのだ。

 しかし、この佐藤の核保有断念はアメリカの核戦略にとっては大きな一歩であった。というのも、一九七一年、キッシンジャー補佐官は中国を秘密裏に訪れて米中国交回復を画策したが、この際、周恩来との秘密会談で事実上、日本には核武装させないことを約束できたからである。

 産経新聞は二〇〇二年八月六日付朝刊に、このときのキッシンジャーと周恩来の極秘会談を掲載した。話は多方面にわたったが、日本の核武装について、まず、キッシンジャーから「米国は対日基本政策として、核武装に反対し、自国防衛のための限定的な再武装を支持し、台湾や朝鮮半島への軍事的拡張に反対している」と切り出している。

 これに対して周恩来が「日本の核武装を望まないというが、米国が日本に核の傘を与え、他国への脅威になっているのはどういうことか」と問う。それに対して再びキッシンジャーが「核の傘は日本に対する核攻撃に備えたもので、米国が(攻撃に出る)日本のために核兵器を使うことは、自国に使うこと以上にありえない」とあっさりと答えた。

 さらに、キッシンジャーは「核の傘に関しては日本との間にその拡張で条約を結ぶ必要はない。核時代には国が他国を防衛するのは条約のためでなく、自国の利益が問われるためなのだ」と述べて、完全にアメリカの核の傘を否定している。

 アメリカは中国が核戦略を拡大していくことを望まなかった。と、同時に、戦後の日本が再びアメリカの脅威になることも望んでいない。そこで中国を封じ込めるために日本には核武装はさせないと確約して、中国の核武装が急速に拡大しないように牽制を試みた。これを「二重封じ込め(ダブル・コンテインメント)」と呼ぶ専門家もいる。このとき日本は中国を封じ込めるための防御壁にされると同時に、中国はアメリカとの交渉によって日本の核武装を制御することができるとの感触を得た。

 この「二重封じ込め」こそが、日本があらゆる選択肢を必要とする戦略において、身動きのできない状況に立たされている元凶といってよい。しかし、もし国家に個別的あるいは集団的自衛権があるのなら、「核の選択」もまた、その国自身の自衛戦略に委ねられるべきであろう。

 ましてやNPT第十条に「異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」とあることを思い出せば、核保有を国家戦略に繰り入れる権利は当然のこととして存在する。