「先制核攻撃」宣言だけが抑止効果!?

 私がしばしば評論やリポートを書いている経済の分野でも、ある種の理論が台頭して熱狂的なファンを獲得するが、やがて多くのケースに遭遇して、理論が完全に間違っているわけではないが、それは経済という巨大な現象の一部分やある期間だけに適用可能なものだと分かる。

 経済理論と核戦略論をいっしょにする気はないが、核戦略論のほうは何せ核戦争という事例がないのだから、事実によって検証するということが困難である。もちろん、ちょっと実験してみようというわけにもいかない。しかし、もうすでに核保有国は九つとなり、戦争ではないにしても核保有国どうしの紛争はいくつも存在している。

 最近、注目されるようになった核紛争理論家にMIT准教授のヴィピン・ナランがいる。名前からしてインド系だと思われるが、二〇〇九年に印パ紛争を扱った「平和のための核武装態勢とは」を発表し、かなり大胆に歴史的経験と理論を接合する試みを行なった。

 二〇一四年には著作『現代の核戦略』(プリンストン大学出版)を刊行して、一部で話題になったが、ナランはウォルツのように世界の構造が国際関係を動かすことは認めるが、同時にセイガンやアリソンのように国内要素や国家指導者の資質も考慮するギデオン・ローズの言う「ネオクラシカル・リアリズム」の影響を受けていることを認めている。

 ナランによれば、これまで核保有に達した中位国(ここには中国も含まれる)が採用した核戦略態勢は三つに分かれるという。

 第一が、保有を曖昧にして戦略も曖昧なままにして危機のさいには第三国が介入することを期待する「媒介的核態勢」。第二が、報復は必ずやるが積極的に核攻撃はしない「確証的報復核態勢」。第三が、最初から先制攻撃の可能性を宣言している「非対称的エスカレーション核態勢」。ナランが繰り返し指摘するのは、こうした分類によって分析を行うかぎり、「核武装さえすれば抑止できる」という結論は出てこないということなのである。

 ナランの初期の研究でも、前出のカルギル紛争が取り上げられている。インドが「確証的報復核態勢」を採用しているがゆえに、パキスタンは比較的安易に軍隊を動かしてしまったが、逆に、インドが通常兵器で反撃に出ようとしたとき、パキスタンの「非対称的エスカレーション核態勢」に抑止されて、本格的な戦争は思いとどまったという。

 これに加えて『現代の核戦略』では対象を広げている。たとえば、保有国と見なされていたイスラエルは第四次中東戦争のさい、非保有国であるアラブ諸国が侵攻してくるのを阻止できなかった。ナランによれば、それは当時イスラエルが「媒介的核態勢」をとっていたため、非保有国の攻撃すら抑止できなかったとみることができるという。

 さらに、中国については「確証的報復核態勢」を採用しているため、非保有国の侵攻は抑止できるが、「非対称的エスカレーション核態勢」をとる大国の攻撃を抑止できるかは保証のかぎりではない。しかし、イスラエルはいまや、通常兵器による攻撃を抑止するためにこの「確証的報復核態勢」に切り替えた。

2015年9月3日、北京の天安門前をパレードする中国人民解放軍の対艦弾道ミサイル東風21D型(ロイター)
2015年9月3日、北京の天安門前を
パレードする中国人民解放軍の対艦
弾道ミサイル東風21D型(ロイター)
 こうしてみていくと、ナランの新しい理論はいまのところさまざまなケースをかなりよく説明しているように見える。核兵器登場以前の抑止例も統計的処理をして分析に加えているものの、まだまだ事例が少ない検証過程にある仮説だが、その暫定的な結論についても知っておく必要があると思われる。

 「私は、核戦略には種類があって効果も違うので、核兵器を持てば抑止が働くとは思わない。いってしまえば、三つのうち『非対称的エスカレーション核態勢』のみが、核戦争の開始とエスカレーションに対して抑止として働くと考えている」