最も心配だった「プチ戦争」についての記者からの質問に対しても彼女は見事に回答した。

記者:以前、ツイッターで「どこかプチ戦争には賛成!みたいに見える」とつぶやいた。当時は審議の真っ只中だった安全保障関連法を批判しているようにも読めるが、このメッセージに込めた意味は?
今井氏:「私は沖縄出身です。沖縄は唯一の地上戦があって、たくさんの県民の方々が犠牲になったという話を、おじいちゃんやおばあちゃんの皆さんから聞きました。そこで私は『二度と戦争はしちゃいけない。平和を守らなくてはいけない。みんなの命を守らなければならない』と強く感じました。しかし、平和を願うだけでは守れないというのも現実です。一昨日、北朝鮮のミサイルが飛んで、沖縄の上空を通過したときに緊張が高まりました。万が一のための備えは必要だと思います。ですが、それは戦争をするためではなくて、平和を守る、みなさんの生活や命を守るために必要なことだと思います」

 この回答は、安全保障を重要視している自民党支持者だけでなく、「基地が無いほうが平和になる」と学校で教えられてきた沖縄の若者の票も逃さない見事な回答だった。

今井氏座右の銘『焦らず、比べず、諦めず』の背景


 記者会見の今井氏の言葉には、人格からにじみ出る芯の強さを感じた。彼女のそのような人格を形成した背景を見てみたい。今井氏は1983年9月、沖縄県那覇市小禄で生まれた。安室奈美恵やMAXを輩出したアクターズスクールに通い、1996年8月に上京しダンスボーカルユニットSPEEDとしてCDデビュー。今井氏13才のときである。3年8か月の活動を経て2000年3月に解散。その短い間にシングル11枚、アルバム6枚の計17枚、ミュージック・ビデオ4本をリリース。2000年からはソロ歌手として活動した。

 2004年6月には結婚、10月には男の子を出産した。その男の子を礼夢(らいむ)と名付けた。夢を持ち礼儀や感謝の気持ちを大切にして欲しいという願いを込めたという。出産から3日後聴覚スクリーニング検査の結果、医師より礼夢君の両耳の聴力に異常があることを告げられた。病名は高度感音性難聴ということだ。それは内耳や聴神経の障害であり、音の電気信号を脳へ伝える神経が上手く働かない病気のため、補聴器で聞こえるようなることは無いという。今井氏はこの子に自分の歌声を一生聞かせて上げることが出来ないことに大きな衝撃と悲しみを受けた。その日は、涙がこんなに出るのかと思うぐらい泣いた。泣くだけ泣いたあとに何故か自然と「耳の事で泣くのは礼夢に失礼だからやめよう」と誓っていたという。