櫻井 彼らの運動そのものが、日本国民の命を危うくするとしたら、本質的に憲法に違反している、ともいえるでしょうね。

 そもそも国家の法規は国内法と国際法に分かれており、国内法においては憲法が、国際法においては国連憲章が優先します。国連憲章の第51条には「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」とあり、日本の自衛権が認められているのは周知の事実です。

「集団的自衛権は戦争につながる」という人に申し上げたいのは、第1に、国家の自衛「権」は権利であって義務ではない、ということです。権利を行使するか否かはその時々の国会すなわち国民の判断によって決まります。したがって、他国の判断にすべてを委ねて戦争に巻き込まれる、という事態は起こりえません。第2に、日本は世界第3位の経済大国でありながら、なぜわが国だけがあらゆる他の国連加盟国が保有する権利をもとうともせず、依然として他国に守ってもらう立場に立とうとするのか。その意味を国民1人ひとりが考える必要があります。

日本に生まれたことを嘆かなければならないとは


 櫻井 『日本、遥かなり』の第11章で記された、イラク軍の人質になって製油所に軟禁された長谷川捷一さん(当時「アラビア石油」クウェート事務所技術調整役)のエピソードは衝撃的でした。長谷川さんは自分と同じく人質になった多くの国・人種の人びとと共同生活を送るうちに、日本の人質事件への対応だけがまったく違うことに気付いて愕然とし、「日本人として生まれたことは、果たしてよかったのか」と自問するまでに至ります。

門田 長谷川さんは毎日ラジオを聞くことができたのですが、イギリスのBBCやボイス・オブ・アメリカは毎時間、人質向けの放送を行なっていたそうです。BBCは「あなた方が1人残らず解放されるまで、私たちは頑張ります。皆さんも頑張ってください」というメッセージを必ず流し、ボイス・オブ・アメリカも同様に人質を励ますコメントをラジオで放送していました。

 では、日本は何を放送していたのか。ラジオジャパンは相も変わらず相撲の取り組みの結果や秋の味覚がどうのという放送内容で、まるで人質事件などなかったかのように通常の番組を続けていた。長谷川さんが帰国後、ラジオジャパンに抗議すると、その答えは「全世界に日本人がいるから、あなたたちのためだけには放送はできない」。これでは日本という国に絶望するのが当たり前です。

櫻井 長谷川さん曰く「日本だけが、人質を励まそうなんて、そんな考えがないことがわかりました。なんでこんな国に生まれたのかと、情けなかった」。日本人が日本に生まれたことを嘆かなければならないとは。これほどの不幸があるでしょうか。

 門田さんの本の凄さは、とにかく取材をし尽くすことによって「現実を触っている」ことです。やはり現実に触れることなしに、人間の生命の守り方や国の安全のあり方を論ずることはできない、と私は思います。

門田 現実を触る、という点でいうと、今回の取材のなかで印象深かったのが、もし日本が「助けられる側」と逆の立場になったときに他国の人を救えるのか、という問題提起でした。たとえば中国や台湾、朝鮮半島などアジアで危機が起きたとき、トルコから「わが国民も助けてほしい」と頼まれたとしたら、日本は救出に行くことができるのか。法律で手枷足枷のような要件を嵌められてしまった自衛隊に、十分な働きは期待できない。それで普通の国といえるのでしょうか。日本人は、トルコ人がしてくれた行為を「奇跡の恩返し」といって感激しています。しかし、ただ感激するだけで国際社会に通用するのか、ということです。

櫻井 おそらく現状の日本では、戦争状態にある地域に自衛隊機を派遣して他国民を救出することは難しいでしょう。日本人のためにテヘランまで救援機を出してくれたトルコのオザル首相(当時)のようなリーダーシップがあれば別ですが、現状では「なぜ外国人のために自衛隊機を出さなければいけないのか」という反対論が強い。時間をかけて日本人に理を説く以外にない、と思います。

 日本は今後、国際社会の期待に本当の意味で応えていける国にならなければなりません。安倍さんにはもちろんこの先も首相を務めていただきたいですが、ほかの人が日本のリーダーになったときや、将来にわたる日本の国際平和貢献を考えるうえで、法改正は必須です。いわゆる「当該国」にあたる中国の圧力や妨害に抗して、日本人のみならず他国人を救うことができるのか、という問いに、真剣に向き合わなければいけません。