ノー・ジャパニーズ


 しかし、その美談の陰には、自国民が窮地に陥っても、これを救出しようとしない日本の姿がある。それは、自国民の命をいかに蔑ろにしているかを示すものにほかならない。

 先進主要国は、この時、自国民をどう救出したか。

 事態が切迫してきた時、各国の航空会社の通常便はキャンセルされ、「特別便」となった。もともとの通常便のチケットは解約され、すべての座席が自国民救出のために使われたのだ。では、自国民を収容して、それでも空いた席はどうなったか。

 ヨーロッパの航空便ならば、それは、「ヨーロッパ人優先」となった。

 もともとその通常便のチケットを持っていた邦人は、空港のカウンターで、「ノー・ジャパニーズ」というひと言で搭乗を断られている。非常事態の際の現実を、邦人はその時、目の当たりにしたのである。

 テヘラン日本人会は、テヘランの日本大使館を通じて、日本航空に救援便派遣の要請をおこなうが、日本航空は救援便を出すにあたって、

 「イラン・イラク双方から“安全保証の確約”をとること」

 という条件を提示した。

 戦争の当事者である両国に「フライトの安全保証」を要求するという、誰も考えつかなかった条件提示によって、事実上、日本航空は救援機派遣を拒否したのである。

 それは、ナショナルフラッグと呼ばれる英国航空、フランス航空、アエロフロート航空、ルフトハンザ航空……等々、各国の特別便が飛来する中、テヘラン在住の邦人にとって、「絶望」と、世界の「現実」との遭遇だったに違いない。

 それとともに、「自国民の命を守る」という国家としての責務を放棄する日本の情けない姿を、テヘラン在住の邦人たちは、突きつけられたのである。

 フセインによる撃墜宣言のタイムリミットぎりぎりで邦人救出に成功したトルコ航空のオルハン・スヨルジュ機長(当時59歳)は、イラン領空を出てトルコの領空に入った時、

 「ウェルカム・トゥ・ターキー(ようこそ、トルコへ)」

 と機内にアナウンスする。その時、機内を揺るがす大歓声が湧き起こった。それは、トルコとの長い友情の末に実現した“奇跡の救出劇”にほかならなかった。

 しかし、国家にとって、最も大切な自国民の「命」は、信じがたいことに、これ以降も日本では「見捨てられ」つづけるのである。