迷走する自国民の救出


 トルコ航空によるテヘランからの邦人救出劇の2年後、1987年5月、政府は、政府専用機2機を360億円で導入することを決定する。これによって、いざという時の「邦人救出」が可能になったかと思われた。しかし、実際には、日本から邦人救出のために政府専用機が飛来することはなかった。

 そのことが如実に示されたのは、1994年5月に勃発したイエメン内戦である。

 イエメンは、中東のアラビア半島の突端に位置する人口およそ2350万人を擁する国だ。1990年に北イエメンと南イエメンが合併し、「イエメン共和国」が誕生したが、旧勢力間の溝は埋めがたく、内戦が勃発したのだ。

 航空攻撃やスカッドミサイルが飛び交う戦闘は、首都サナアにも及んだ。ただちに各国からは自国民救出のために、救援便が飛んで来る。

 軍用機も次々と飛来し、自国民救出という国家の責務が果たされていった。だが、この時も、日本からは救援機は来なかった。

 当時の秋山進・イエメン大使は在留邦人を各国の救援便や軍用機に乗せてもらうために奔走する。

 首都サナアだけで駐在の邦人は100人を超えており、その救出を他国に“委ねた”のである。懸命の説得で、戦下のイエメンから、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカの軍用機が邦人を救出していった。

 青年海外協力隊(JOCV)のイエメン調整員事務所の伊東一郎所長(当時43歳)は、この時、自国民の命を軽んじる日本の現実に直面した。

 「私は、この問題は、“自衛”ということの意味をどう解釈するかという問題だと思っています」

 と前置きして、こう語ってくれた。

 「あの時、私たちは救出に来てくれた他国の軍用機に乗せてもらって、在留邦人に犠牲者は出ませんでした。しかし、それは、たまたま運がよかっただけのことです。救出を待っている時、ほかの国のボランティア団体の人たちから“なんで日本はお金があるのに、救援機が来ないのか。もっと貧乏な国だって来ているじゃないか”と言われました。それが他国の人たちの率直な感想です。安全保障問題で、よく普通の国になる、ということを言いますが、しかし、普通の国というのがどういうものか、ということを、日本の国民のほとんどが知らないと思います。私はむしろ、そっちの方が問題じゃないかと思っています」

 国家が「自国民の命を守る」という当たり前のことが、日本では「許されないこと」なのである。