倒錯した法理


 それは、一体、なぜだろうか。

 自衛隊機が邦人救出のために海外に派遣されることに対して、日本では大きな反対論がある。

 「海外での武力行使に繋がる」

 「それは、憲法違反だ」

 そんな信じがたい主張をおこなう政治勢力やジャーナリズムが日本には存在しているからである。いや、むしろ、その方が優勢だといってもいいだろう。

 国民の「命」を守ることは、言うまでもないが、「究極の自衛」である。そのことが、「憲法違反になる」という倒錯した法理を説く政治勢力や学者、ジャーナリストが、日本では驚くほど多い。

 どこの国でも、腹を抱えて笑われるようなそんな空虚な言論が大手を振り、実際にマスコミでは、その意見が大勢を占めている。

 「自国民を助けに行くことは不自然でもなんでもなくて、“自衛”なんです。なにも戦争を仕掛けに行くわけでもないし、当たり前の話だというふうに、世界の誰もが考えている。でも、その国際常識がないのが、日本なんですよ」

 伊東氏もそう語る。

 「戦争は嫌だ、という人が多いですが、戦争なんか誰だって嫌なんですよ。誰も戦争なんかやりたくない。だから、それとこれとは次元の違う話だ、ということがわからないんです。日本のようにボケるほど平和な国というのは幸せなんだろうけれども、あまりに考え方が現実離れしています」

 イエメンで自分たちが救出されたことを伊東氏は、こう捉えている。

 「私たちが助けてもらったケースなどは、自国民の救出を日本が“他国に委ねた”ことになります。それは、逆の場合もなければ、少なくとも対等なつき合いとは言えないですよね。しかし、では、東アジアで同じようなことが起こり、今度は他国から救出を頼まれた時、日本はどうするんでしょうか。自国民の救出すらできない日本が一体、どんなことができるのか。イエメン内戦の場合、国際社会が、力を合わせて私たちの命を守ってくれました。しかし、日本はどうするのか、私はどうしてもそのことを考えてしまいます」

 そこには、世界の常識から逸脱した日本の姿がある。そして、残念なことに、自国民の命を助けることを「憲法違反」などと言う“内なる敵”への配慮から、日本はいまだに有効な法改正ができないままなのである。

 イエメンでの出来事が教訓となって1994年11月、自衛隊法が一部改正され、第百条に〈在外邦人等の輸送〉という項目が加わった。

 〈輸送の安全が確保されていると認める時〉は、航空機による当該邦人の〈輸送を行うことができる〉とし、輸送は政府専用機で行い、困難な時は、〈その他の自衛隊輸送機で行う〉ことができるようになったのだ。

 しかし、その要件の中には、〈安全の確保〉がなによりも優先されたため、紛争国への派遣は、認められなかった。つまり、イエメンのような紛争地帯には飛んでいくことが「できない」のである。

 邦人救出のために奔走した秋山進・イエメン大使はこれに対して、外務省の内部文書で以下のような意見を提出している。

 〈先の内戦の際、独、伊、仏及びジョルダンの協力を得て約100名の邦人を無事国外に脱出させることが出来た。イエメン内戦を契機として改正された「自衛隊法第100条」は「当該輸送の安全について、これが確保されていると認めるときは」航空機による輸送を行うことが出来るとしているところ、他の先進諸国が実施している様に、「危険があれば、それを排除してでも邦人を救出する」ことの出来る制度が早急に確立されることが望まれる〉

 それは国際紛争の実態をはじめ、「現場」を知る外交官として、当然の提言だっただろう。