決戦!上田合戦(神川の戦い)

 神川の西岸には、昌幸の密命を帯びた常田出羽と高槻備中が率いる前衛部隊200が邀撃態勢を整えている。だが、1発の銃弾も1本の矢も放たない。徳川勢の先鋒部隊が西岸に達した。それでも抵抗することなく、じりじりと後ずさる。その間にも後続兵は神川を押し渡り、ついに大半が無傷で渡河を終えた。

 直後、頃合を見計らっていた常田と高槻が大音声を張り上げる。

「今だ。撃て!」

 満を持して待機していた真田勢の鉄砲が一斉に轟発した。徳川勢もすかさず銃撃で反撃すると同時に、敵は寡兵と見て遮二無二突進しはじめた。堀切も柵も無視しての突撃だ。

 数を恃んでの大攻勢の前に、真田勢は負け色を見せて弱々しく引き退しりぞく。

「敵は怯ひるんだ。一気に押し崩せ!」

 侍大将が叫び、嵩にかかって攻め立てる徳川勢。真田勢はしかし、ずるずるとは退かない。敵が近づけば踵を返して鉄砲を撃ちかけ、逃げては返し、返しては逃げてという繰り引きで城近くまで後退したあと、こらえかねた体で横曲輪へ引き入った。

 昌幸が常田と高槻に命じていた巧みな誘引策であり、前衛部隊は囮部隊だったのだが、寄せ手は気づきもしない。

 鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉らの歴戦の勇将すらまんまと欺むかれ、ここを先途とばかりに大声で下知を飛ばす。

「城は無勢ぞ。付け入れ!」

 吶喊。徳川勢が獰猛な四足獣の咆哮にも似た雄叫けびをあげて城際へ押し寄せ、我先にと乗り入れを競う。

 迎え撃つ昌幸の雄姿は、上田城の本丸大手門近くの櫓にある。徳川勢が城際に迫っても、胆の巨きさが並みではない昌幸はいささかも動じる風はない。それどころか、甲冑も着さず、六連銭の旗を吹きなびかせた傍らで、禰津利直を相手に悠然と囲い碁を打っていた。

 家臣が数度にわたって注進におよぶが、泰然自若として動かず、短切に返すだけだ。

「敵来たらば斬れ、斬れ」

 徳川勢が二の丸まで突入してくるのを待っているのだ。

 上田城は、東を向いた大手口から直線的に三の丸、二の丸、本丸と門がつづいており、攻撃する際に正面から突入したくなるような縄張りになっている。本丸に兵力を集中し、狭隘な二の丸へ殺到してくる敵勢を邀撃することで相当の犠牲を強いることができるだけでなく、敵の後続部隊がひしめき合って押し出してくるので、前衛部隊は逃げ場がなくなり大混乱に陥るのは必至、という構造だ。

 昌幸はそこに罠を仕かけた。

 真田勢の囮部隊に誘引された徳川勢は、三の丸橋と二の丸橋を突破して二の丸へ雪崩れ込んだ。その間、真田勢のとかくの反撃はない。徳川勢は城中の兵が少ないからだと侮り、どっと鬨の声をあげて本丸へ迫り、我先にと大手門に取りついた。

 それを待っていたかのように、昌幸に近侍する参謀格の来福寺左京が声をかける。

「殿、時分はようござりますぞ」

 うむ、とうなずいた昌幸が、碁盤上の石を突き崩してすっくと立ち上がったと思うや、鉄板をも射抜かんばかりの鋭い眼光を放って音声で命じる。

「太鼓だ、鉦だ。貝を吹け!」

 太鼓と鉦が乱打され、法螺貝の吹鳴音が響き渡るや、天地をどよもす鯨波があがり、静まり返っていた真田勢の反撃が開始された。

 門や塀の上、矢狭間、鉄砲狭間から銃弾と矢を雨注させる。石礫を打つ。かねて用意しておいた丸太や大石を投げ落とし、沸騰した油を降り注がせる。

 攻撃しているのは軍兵だけではない。猟師は鳥銃をぶっ放し、農民や町人は石礫を投じ、丸太や大石を運び、女子供は油を沸かすなどの雑用に汗を流している。

「我らが城下に住まう者は百姓であれ町人であれ、皆、わが子も同様じゃ。妻子を引き連れて籠城せよ」

昌幸は徳川勢が来攻する前に城下に触れを出し、希望者の入城を許していた。領民はその仁愛に応えるべく、徳川勢への攻撃に加わったのである。

みすみす罠に嵌まって二の丸へ殺到した徳川勢は、昌幸の目算どおり、大混乱状態に陥った。