“核心”には触れず


 しかし、それでいて核心部分には、Aは一切、踏み込んでいない。そして、自分が人間的な感情を取り戻していることを思わせる描写は、繰り返し出てくる。会社の先輩の家に招かれ、そこで子供たちの姿に衝撃を受ける場面はこんな具合だ。

〈無邪気に、無防備に、僕に微笑みかけるその子の眼差しが、その優しい眼差しが、かつて自分が手にかけた幼い二人の被害者の眼差しに重なって見えた。

 道案内を頼んだ僕に、親切に応じた彩花さん。最後の最後まで僕に向けられていた、あの哀願するような眼差し。「亀を見に行こう」という僕の言葉を信じ、一緒に遊んでもらえるのだと思って、楽しそうに、嬉しそうに、鼻歌を口ずさみながら僕に付いてきた淳君の、あの無垢な眼差し。耐えきれなかった。この時の感覚は、もう理屈じゃなかった。

 僕はあろうことか食事の途中で体調の不良を訴えて席を立ち、家まで送るという先輩の気遣いも撥ね退け、逃げるように彼の家をあとにした。

 自宅へ帰るバスの中で、僕はどういうわけか、涙が止まらなかった〉

 しかし、そこまで犯行への悔恨を表現しておきながら、少年たちが持つ「なぜ殺人をしてはいけないか」という疑問に対して答える場面では、Aはこう記述するのである。

〈大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。

「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」

 哲学的な捻りも何もない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが、少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺りながらのたうちまわって生き、やっと見付けた唯一の、僕の「答え」だった〉

 自分自身が苦しむことになるから、やめておけ――それが、Aにとっては、「どうしても人を殺してはいけない理由」なのである。

 なんと理不尽で手前勝手な論理だろうか。果たして、Aは更生したと言えるのだろうか。
 淳君の父親、土師守さん(59)は、こんなことを語ってくれた。

「私は、今回の出版で、淳は二度殺されたと思っています。本は読んでないし、読む気もありません。こういう本を出すということは、更生もしてないし、(病気も)治ってへんやろう、ということですよ。反省の気持ちもないことがよくわかりました。今まで、ずっと(命日が近づくたびに)手紙に書いて送ってきた内容も嘘だったということです。手紙を読むと、“こうあって欲しいな”という気が、どうしてもありました。それが、やっぱり、思った通りやったんやな、ということです。そういう意味では、逆の意味だけど、私の中でも区切りがつきました」

 Aにとって、これだけは踏み外してはならなかった遺族への贖罪。遺族に無断で出した一冊の本は、酒鬼薔薇聖斗への長年にわたる治療と矯正教育が、見事に「失敗したこと」をなにより物語っている。(了)



 かどた・りゅうしょう 昭和33(1958)年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。ノンフィクション作家。『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)、『太平洋戦争 最後の証言』(角川文庫)、『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)など著書多数。『この命、義に捧ぐ台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で山本七平賞受賞。