自分がツイートしたもので、一番最初に大きな反応があったのが、「放射能が降っています。静かな夜です」という一行なんですけど、それを色んな人がリツイートしてくれました。どんどん広がって、読んでくれる方が増えてくると、だんだん物を書く自分が思い出されてきた。 

 3月11日に東日本大震災が起きて、12日に福島第一原発の1号機が爆発した。避難所にもいましたが、原発爆発のニュースが繰り返し流れて、受動的というか、消極的と言うか、没個性的と言うか、なんか呆然として「言葉にできない」という感じでした。
福島第1原発事故関連 原発から10キロ圏内を福島県警約300人で初めて捜索。歩くだけでも困難な一面のがれきの中を丁寧に探し続けていた
=2011年4月14日午後、福島県浪江町請戸地区 (大山文兄撮影 防護服を着用して撮影を行っています)
福島第1原発事故関連 原発から10キロ圏内を捜索する
福島県警 =2011年4月14日午後、福島県浪江町
(大山文兄撮影 防護服を着用して撮影を行っています)


 震災後1カ月の間で1002回の余震があったのですが、その中で揺らされるたびに、覚醒していく感覚があった。揺さぶられて、目覚めさせられていくような感じ。地震に揺られながら、物を書き続けることで自分の考えが生まれて、戦おう、向かい合おうっていう気持ちになっていったんです。

 一晩中、ひとり部屋に閉ざされて、孤独なんですけど、ネットではどんどん広がっていって。フォロワーも1万、1万5千、2万と増えていった。不特定多数の方からメッセージをいただいた、孤独の深まりを感じると同時にツイッターを通してたくさんの人とつながっているっていう、正反対の感情がありました。最初は不定期だったんですけど、リアルタイムで読みたかったというメッセージも多くて、それで夜の10時からやりますと予告をするようになったんです。

 
 ツイッターを読んだ人から精神状態を心配する声がありました。明らかに人格が違う、と。「私」と「僕」と「俺」、3つの主体がでてきて。すごく乱暴的な主体が俺…、僕というのは情けない自分…、私というのは中立の自分…、その3つが入り混じる…。これはこれまでも書いてきた現代詩なんです、と伝えようと思って、3回目で「詩の礫」と言うタイトルをつけました。大きな地震があって逃げようとしてドアを開けた瞬間に「詩の礫」という題名がひらめきました。

 瓦礫の「礫」なんです。震災でこのような風景になった(震災の被害を撮影した著書『詩の礫』のカバー写真を指して)。この印象がまず目の前にあります。礫のように降ってくるっていう意味もあるし、礫のように投げるという意味もあるし、すべてが瓦礫になってしまってその中から詩を拾い上げるという意味もある。すべてが崩壊してしまったという感じがありました。大きいものに対して小さくても投げていくという感じですね。