3月9日に刊行された新作『昨日ヨリモ優シクナリタイ』は『詩の礫』(2011年、徳間書店)と『起承転転』の延長上にある詩集です。いまでも、福島で暮らす人間のみならず、日本人みんなの心にトゲが刺さったままだと思っていて、5年目にこういう気持ちでいるんだということを言葉にしたいと思ったんです。

 「ふるさとに」

ふるさとに今すぐ帰りたいという男と

ふるさとに帰りたくてもそうすることが出来ないという男と

ふるさとなどもともと知らない男と

ふるさとを早くに捨ててしまった男と


ふるさとについて誰彼ともなく語り始めた

ふるさとについて誰彼ともなく口をつぐんだ

ふるさとについて誰彼ともなく目を細めた

ふるさとについて誰かが耳をふさいだ


ある男はある男にきみはうらやましいと言った

ある男はある男にきみは楽天家だと言った

ある男はある男にきみは考えを変えるべきだと言った

ある男はある男にきみは寂しい生き方をしていると


男たちはいつしか話を止めた

そろそろ別れを告げて良い機会なのだろう

ある男がある男の肩をたたいた

別の男は泣いた

和合亮一『昨日ヨリモ優シクナリタイ』(徳間書店)より

 「故郷」については色んな考えがあって、もう帰れなくてもいいという人もいれば、絶対に帰りたいって人もいる。ここに書いた通り、多かれ少なかれ、みんな温度差があると思います。家族が分断されて、離れ離れに暮らしている家族も多い。その中で故郷とは何かって問われ続けているんじゃないでしょうか。でも故郷を奪っていいものではないと思う。それが人災なわけです。「対話」という詩があります(下記参照)。実際に小高駅の前にいらっしゃったご夫婦に直接聞いた話で、仮設の暮らしを続けていて、もう会社も学校も病院も元には戻らないだろうし、とても心配だとおっしゃっていたお話を聞き書きました。そんな中で避難指示解除になる。帰っていいよって急に手放されてしまっているような現状。戻っていいのか、戻らない方がいいのかっていうことを悩みすぎてしまう。今、そういうことで精神的ストレスを抱えている人が多くなっているそうです。

 もちろん、故郷に早く帰りたいという話もよく聞きます。久しぶりに家に戻って2時間ほど掃除をしてきた人が、台所で掃除をしていたら背中をぐっと押されたと。後ろ振り向いても誰もいない。窓を開けて掃除をしていたので、暖かい空気が入ってきたのが背中ぐっと押されたと思ったらしいんですよ。その人は久しぶりに帰って来て、家が喜んでるんだなって思って、涙が止まらなかったそうです。すごく独特な感覚ですよね。やっぱり根本は故郷なんですよね。でも故郷に戻ることができればいいってことでもない。最終的には故郷っていうのは人…、人の中にあるものだと思うんですよ。そのことをこの詩の中に書きたかったんです。

「対話」

「一年目は怒りと悲しみでした

二年目は町に本当に戻れるのか不安と恐れでした

三年目はあきらめて笑うしかなくなりました

そのまま四年を迎えました 五年目になりました」

「今も 毎週のように 青森から

幼い息子さんと 娘さんを探しに海辺にやってくる

若いご夫婦がいらっしゃいます

日曜日の夕方に戻っていきます」

「仮設住宅の暮らしをずっと 続けていますが

避難指示解除になったとしても 会社も 学校も 病院も

元の通りには ならないだろうし

あきらめて笑うしかないのでしょうか」

「あの若いご夫婦は 少しも笑わずに 探しています

姿を見ていると 大海に抱かれているかのようです」

  *

福島は 津波だけだったら良かったのにね

そんなふうに 遠い街で

和合亮一『昨日ヨリモ優シクナリタイ』(徳間書店)より