その2:ベッキー問題
 これは、他のところでも指摘されていることだが、この報道のアブナイところが全くスルーされている。言うまでもなくベッキーとゲス極の川谷絵音のトークが漏れていることだ(LINE開始当初のイメージキャラクターがベッキーだったのは、なんとも皮肉)。あたりまえの話だが、LINEのトーク内容を外部の人間が第三者が閲覧することは原則不可能だ。可能だとすればパスワード(ディバイス(スマホ、タブレット、PC等)のものと、LINEのもの)を知っている必要がある。どうして、そんなモノをスッパ抜いた文春が知っているのか?可能性としてウワサされているのが、川谷妻が文春にリークしたというものだが(まあ、可能性としてはいちばん、考えられる)、だとすれば、これはほとんどリベンジポルノと同じ構造になってしまう。しかもその場合、片棒を担ぐのが文春という図式になる。そしてプライバシーの侵害。倫理もへったくれもないわけで、やはりこれまたメディアの劣化。

その3:SMAP問題
 これはすでに以前、ブログに書いたこと(http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/65983320.html)なので簡潔に説明しておくが、要するにメディアはSMAPを窮地に陥れたメリー喜多川をほとんど非難しなかった。理由は簡単で、ジャニーズの実質女王であり、メディア(とりわけテレビ)に絶大なる威力を持つ喜多川を攻撃したら、ジャニーズから恩恵を受け入れられなくなってしまうと恐れたからだ。カネのためなら権力にも平気で媚びるというジャーナリズムの風上にも置けないことを平気でやる。つまり「強きをくじき弱気を助く」の逆の図式。これまたメディアの劣化。

その4:ネット依存Aーネット住民への無警戒
 予算の低下、人材の質の低下が招いたのがメディアによるネット依存だ。一般人がアップした情報を取り上げ、これをメディアに掲載する。かつてコンビニの冷蔵庫にバイトが潜り込んだ事件やペヤングソース焼きそばやマックのハンバーガーへの異物混入などはその典型。これは摘発というものでもなく、個人が気がついてアップしたもの。かつてなら表に出ることはなかったものだ。これ自体は、まあ問題と言えば問題だが、結局これを拡散するのはメディアなのだ。そしてペヤングやマックいじめが始まる。

 オリンピックのエンブレム問題も同様だ。この時、エンブレム自体は疑惑があったとしても証拠はない。これをネット住民(この場合、騒ぎたい一部の人間のことだが)が、一斉に非難を浴びせる。そして、これをメディアが拡散する。ネット上で収まっていれば大したことにはならないのだが、メディアは要するにマスメディア。不特定多数にプッシュ的に拡散するシステムを持つ。これによって、問題は一大事となる。この時、いわば魔女裁判+公開処刑が始まるのだ。結局、何の証拠もない状態で佐野研二郎のエンブレムは使用禁止になった。もし、仮にこのエンブレムが使えるモノか使えないモノかをメディアが議論するなら、エンブレム疑惑を騒ぐネット住民の片棒を担ぐのではなく、自らの足と頭を使って、確固たる証拠を示すべきなのだ。ところが、そんなことはやららない。カネはないし、頭もないし、時間もないから。

 そして、その際に専らネタとして引用されるのがソーシャルメディア、とりわけ匿名によるモノだ。これらのほとんどは根拠に乏しい。匿名だから何書いても原則オッケーだからだ。そして、これについてもメディアは言質を採らず、スキャンダリズム、イエロージャーナリズムに基づいて、これを大々的に取り上げてしまう。つまり、メディアの劣化。

 ちなみに天に唾するようだがBLOGOSなどのブログとりまとめサイトのエントリーをそのまま引用したりするのも、この「省エネ」「横流し」の典型的な手法の1つだ。ちなみに、ぼくが「天に唾する」と言ったのは、このブログをメディアがチェックして、僕にコメントを求めてきたりすることを指している。まあ、ブロガーのブログを引用したり、ブロガーにコメントや執筆を求めてきたりするのはよいけれど、その前に自ら勉強して、こちらからは「参考意見を聞く」ぐらいのことはやってほしい。ヘタすると丸ごと掲載したり、こっちの説明を全面的に採用するなんて輩も存在するのだ(そのまた逆で、自分が初めから表現したいことがあり、それに適合することをブロガーにたずねてくるなんてパターンもある。これもジャーナリズムからはほど遠いところにある営為と言えるだろう)。

 そういえば、コメントを求めてきた局スタッフや記者に、思わず説教を垂れたなんてこともあったっけな?こんなことをやる僕を「ウルサイオヤジ」くらいに一蹴するパワーがあれば、まだいいのだけれど、素直に聞いてこっちが言ったことをそのまま掲載したり、何を言っているのかわからないらしく、困った顔をして目を白黒させたり。

その5:ネット依存Bーネットコンテンツのコピペ
 ネットからのコピペも非常に多い。典型的なパターンがTVによるYouTubeの動画からの流用だ。この中から面白そうな、いや、閲覧数の多い動画(「面白い」の基準がわかっていないので、専ら閲覧数に頼っている?)をそのままコンテンツにしてしまうのだ。これを十数本程度取り上げ、スタジオ(会場)にひな壇を設けてタレントをならべ、適当にコメントさせれば、廉価、省エネ、簡単企画な、お手軽90分スペシャルの一丁上がりとなる。つまり、何の工夫もやっていない。コンテンツをネットに丸投げしているだけ。ただし、YouTubeをよく閲覧するネットユーザーは、その多くをすでにチェック済みなので、原則、こう言ったコンテンツはスルーする。そう、やっぱりメディアの劣化。


そしてメディアは狂牛病化する


 なんでこんなことになるんだろうか? 実はこれ、構造的な問題だろうと、僕は踏んでいる。メディアに従事する人間は実のところ、こういうふうにとんでもないことをやっていることに気づいていない。「周りがあたりまえのようにやっているから、自分もやっているだけ」。経費が削られて仕事に忙殺させられるようになったのだろうか?仕事の処理、仕事をこなすことだけに追われる状況に追い込まれたメディア関係者は思考を停止させる。そして気がつけばカネの隷となっている。つまり経済原理がプライオリティーファーストとなってコンテンツ作りを推進するようになっている

 こうなると収益の悪化→ネット依存→コンテンツの劣化という負のスパイラルは無限の連鎖を発生させ、気がつけばマスメディアというシステムの脳はスカスカのスポンジ状に、つまり狂牛病ならぬ「狂メディア病」化するかもしれない。というか、そういった事態はとっくに始まっていると考えるべきなんだろうが。つまり既製の使い古された形式に情報を流し込むだけの作業がひたすら続く。

 おそらく、というか、ほぼ確実にこれらオールドメディアはネットというニューメディア=ブラックホールに吸い込まれていくのだろう。いいかえればスカスカになった脳が今度はそのセル=形式それ自体も崩壊させていく……その日はそんなに遠くないと、僕は読んでいる。
(ブログ「勝手にメディア社会論」より2016年2月15日分を転載)