憲法第25条には、私たち国民が、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をもつと書いてある。が、国も自治体も、受給者がパチンコで「遊ぶ」ことを「健康で文化的な最低限度の生活」とは、あまり認めたくないようだ。だからといって国家が、どこまでが「健康で文化的な生活」なのかを決めることには、ファシズム的な危うさが漂う。

 生活保護費で春画展を観に行くのはどうなのか。マッサージや飲酒は?ピンサロやデリヘルなど、性風俗店は?女性なら、ホストクラブはダメなのか?すべての価値観には、「自由」が先行する。だから国は、「健康で文化的な最低限度の生活」を、線引することが原理的にできない。個々の受給者に対し、「あなたは最近、パチンコをしすぎですよ、依存症の可能性があるから一緒に治療しましょう」とはいえても、生活保護法に「すべての受給者はギャンブルをすべきでない」とは、決して書けない。それが民主国家ということだ。


それでも高まる「なぜギャンブルが許されるのか」


 それでも、私たちの心にはわだかまりが残る。なぜ、頑張って稼いだお給料を税金にとられ、その一部が(ほんの一部だとしても)ギャンブルに使われるのか。生活保護を受ける人は「かわいそう」だけど、遊びに使うお金まで支援してあげるほど、こっちだって余裕はない……ネット世論をみれば、「生活保護費をギャンブルに使うなんて言語道断」とか、「パチンコや競馬に、生活保護費を使い込んでしまうような人物だから、生活保護から抜け出せないのだろう」「いや、抜け出す気もないのか?」など、さまざまな声が見つかる。「巡回調査を強化すべき」という人もいる。

 生活保護にかかるお金は、毎年3.8兆円と膨大だ。その6割は医療扶助などの「医療費」が占める。本来、メスを入れるべきは「ギャンブル」ではなく、ここ(ムダな薬の出しすぎなど、医療費の削減)なのだが、なぜか問題は「パチンコ禁止」へと向かう。病人への医療支援には、倫理的な後ろ盾があるから批判しにくいのだろう。「お金が払えない人に医療費を扶助するのは仕方がない」が、「お金がない人がギャンブルをするのは許せない」。

 ここから見えてくるのは、私たちがもつ「正しい貧乏人のあり方」だ。病気や事故、家族の不幸などで働けず、国の支援を受けている人は、「かわいそう=正しい貧乏」。対して、貧しいのに遊んで暮らしている(ようにみえる)人は、「許せない=悪い貧乏」。本来は両者とも、同じ貧困層のはずだ。しかし、この倫理の線引きがあるために、私たちは生活保護費の6割を占める医療費にメスを入れようとしない。議論しようともしない。「よい貧乏、悪い貧乏」のイメージがあるかぎり、「保護費でパチンコ問題」は、定期的にニュースを騒がせるだけだろう。本当の問題は、もっと別にある。