舛添批判の正体─元祖タカ派、構造改革論者としての舛添要一

 舛添知事は、猪瀬直樹前知事の辞職にともなって、2014年2月に都知事選を勝ち抜き就任したことは記憶に新しい。そういえば、舛添氏といえば1990年代初頭には、いわゆる「PKO法案」推進論者として、言論界では代表的なタカ派・右派論者として一世を風靡したのを覚えている。

 ところが今回の旧都立市ケ谷商業高校跡地についてもそうだが、舛添知事の評価はことさらネットユーザーの中で劣悪である。2014年の東京都知事選挙の時もそうだが、右派系の独立候補であった元航空幕僚長の田母神俊雄氏に対し、自民・公明の与党が推したはずの舛添氏に対する評価は最悪であった。

 ネット上では、舛添氏を「左翼」を通り越して「在日コリアン」「帰化人」であるとの、根拠なき中傷が相次いだ。これを真に受けたのかどうかは定かではないが、舛添氏は選挙期間中にわざわざ九州にある「先祖の墓参り」の模様をアップロードするなど、降って湧いたネット住民の批判を打ち消すのに必死だったように思える。

世界知識フォーラムで公開対談する東京都の舛添要一知事(右)と朴元淳ソウル市長=2015年10月20日、韓国ソウル(共同)
世界知識フォーラムで公開対談する東京都の舛添要一知事(右)と朴元淳ソウル市長=2015年10月20日、韓国ソウル(共同)
 かつて「タカ派」「右派」の論客として知られた舛添要一氏の思想の原点とはなんなのか、1991年にPHP研究所より出版された『舛添要一のこれが世界の読み方だ―新しいナショナリズムの世紀が始まる―』を元に、ごく簡単に紐解いていきたい。

 今回の旧都立市ケ谷商業高校跡地をめぐって、舛添都知事が「親韓である」との誹謗中傷がネット上で盛り上がるが、舛添氏の考えは、従前から一環している。同書を紐解くと、舛添氏の基本的なアジア観が浮かび上がってくる。

 舛添氏は、「1992年のEC統合を念頭に置いて、アジア・太平洋地域でも同様な経済統合が出来ないかという考えも出始めている。しかし、少なくとも東アジアに限定したとしても、この地域でアジア版ECのようなものを創造するのは著しく困難である」(同書、127頁)として、日本とあまりにも国情の違う韓国を、「統合ということにはなじまない」(同)として徹底的に突き放している。

 舛添氏は日本が国際社会において、責任ある大国である、との自意識を持つべきであると説き、その実現のためには既存の旧態依然とした、「戦後的世界」の旧習に縛られた官僚政治などを打破するべきとしている。いわゆる「古典的構造改革論者」であるのが、舛添氏の世界観の根底である(よって舛添氏は、この時期、所得税を減税して消費税を10%に増税するべきだと説いている)。

 舛添氏の一貫した主張は、日本が大国として国際政治の場でイニシアチブを採るべきである、とする威勢のよいものであり、それは対米自立と自主外交を含んだ闊達なものとなっている。いわゆる戦前にあった「アジア主義」には否定的で、中国や韓国とは基本的な状況や価値観が違いすぎるとして距離をおいている。

 ネットの右派界隈では福沢諭吉の「脱亜論」が盛んに唱えられてきた昨今であるが、舛添氏も例に漏れず、「韓国とは協調できない」という基本概念を有している人物であった。

 この舛添氏が、ネット世論の中で「親韓」「売国奴」「帰化人」扱いを受けるのはそれこそ「奇観」の様に思えるのは私だけだろうか。かつて「(韓国を含む)アジア共同体」に至極消極的で、日本独自の外交やイニシアチブを重視した「舛添ドクトリン」が、殊更ネットの右派から糾弾される現状は、興味深い。

 時代が変わったのか、それとも舛添要一が変わったのか。真なるのは前者であろう。舛添氏の一貫した主張は変化がないものであったが、世論が、とりわけ「嫌韓」に関連するネットの世論が変わったのだ。かつてタカ派・右派論者の筆頭だった舛添氏が、けちょんけちょんに「売国奴」扱いされている現状は様々な意味で興味深い。舛添氏は1990年代初頭からほぼ一貫して変わらない「タカ派」「構造改革」論者であろう。