現行法上、国立大学教職員は民間労働者と同じく労働契約法の適用対象であり、大学法人に雇用されている。したがって、その給与は労使交渉の中で決まることが原則である。ただし、私学助成金の割合よりは高い割合で国の資金を受けているため、独立行政法人通則法も準用されている。

 同法は、給与が「国家公務員の給与等、民間企業の給与等、当該……法人の業務の実績並びに職員の職務の特性及び雇用形態その他の事情を考慮して定めなければならない」としており、これについての基本方針を定めた閣議決定の解説によれば、「国家公務員との比較に加え、当該法人と就職希望者が競合する業種に属する民間事業者等の給与水準との比較など、当該法人が必要な人材を確保するために当該水準とすることが必要である旨をその職務の特性を踏まえながら説明するものとする」とされている。

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 つまり、ここにいう民間事業者である私立大学からかけ離れた水準まで「上がらないように」することが求められている。現状はその逆で、私大どころか、国家公務員と比較しても低い給与水準になっている(ラスパイレス指数)。人材流出は教授だけでなく職員においても生じている。


トップダウン式決定はソ連経済への道


 冒頭に述べたように、私自身はより低い給与でも十分に生活していくことができる。人間の価値は平等であり、能力に応じて努力すれば同等の賃金に値するという考え方もあるだろう。マルクス主義経済学の労働価値説は、基本的にそのような発想だと思われる。京大教授の給与を低所得者層の水準と同等まで引き下げよと主張する人は、極端な共産主義者なのかもしれない。

 確かに、生活保障を重視する社会国家・福祉国家をヨーロッパに定着させたことは、マルクス主義の成果だと考えられる。しかし、私は、共産主義経済には反対である。優れた成果を上げてもそれが剥奪されてしまうのでは、成果を上げるインセンティブがなくなってしまうためである。ロシアの産業がいつまでたっても離陸できないのは、計画経済の後遺症だとはいえないだろうか。自由で公平な市場の競争があってこそ、新しい、素晴らしいものが創り出されるはずである。ソ連の芸術やスポーツが優れていたのは、国際競争に勝ち抜く度量の賜物だろう。汚職・癒着の排除と、ボトムアップ式の創造性を伸ばす教育・研究政策とが、日本の国際産業競争力にとって重要である。失敗からノーベル賞級の発見が生まれるような研究条件が保障されていなければならない。