これほど悔しいことがあるだろうか。真面目に働いて得るはずであった賃金を一方的にカットされ、しかもそれが被災地に届いていないのである。第2に、京都大学で強行された賃下げの率は、教授、准教授、助教と、それぞれに対応する職員との違いによって、分けて決められていたが、その計算式は誤りであったことが判明した(国からの資金が大きく削減されると、賃下げ率が「下がる」式だった)。

 京都地裁の請求棄却判決は、国が賃下げを要請したのであれば財政的な必要性がなくても賃下げを強行でき、その率は誤っていてもよい、とするものであった。これは労働法が存在する法治国家の判決なのだろうか。

 京大賃金裁判の控訴審判決は2016年7月13日に言い渡される予定である。もし勝訴すれば、取り戻した賃金は被災地学生ボランティアに寄付するつもりである。
 私が給与明細を公開した動機は、決して、自分が自由に使うお金を増やしたいということではない。今回、あるインターネットの記事がそのように思わせる記載になっていたため、これを読んだとみられる障害者の方や、退職公務員の方が、真摯な批判のご意見を送ってくださった。この方々が気付かせてくださったのは、国公立大学の最新の状況を社会に広く知らせる必要性である。

 私自身は、繰り返すように、給与が下がっても困窮する立場にはない。だが、国益の維持を図るのであれば、現在の国立大学教授の給与が高いか低いかは、国内・国際の競争の中で、人材を確保できる水準に照らして評価されなければならないと考える。また、法律もその趣旨を規定している。この度の給与問題についての議論の高まりを機に、日々私たちが取り組んでいる労働組合の活動についても、関心を持ち、組合に加入してくださる方の増えることを切に希望する。