これに対し、東大のみならず日本の(国立)大学の場合には、教育研究で目覚ましい成果をあげていてもあげていなくても、教授は教授、待遇にほとんど差はありません。総合的に考えると、アメリカの大学よりも日本の大学の方がまだ恵まれていると言えるかもしれません。

 また、民間企業に勤めて出世した大学の同級生と比べると安い給与かもしれませんが、上を見たらきりがありません。比べるとしてもいろいろな道を歩んでいる同級生全体と比較するべきです。僕の実感としては、やりがいのある教育とやりたい研究に従事させていただいている割には厚遇してもらっているように感じます。

 普通は嫌な仕事を我慢したり何らかのリスクを取ったりしないとお金儲けはできないところ、普通に教育研究に専念しているだけで、少なくとも自分自身の人件費がどんな教員でも定年まで保証されているというのは大変ありがたい点です。

 研究費の獲得は大変ですが、それはアメリカなどではさらに熾烈な様ですし、研究費が獲得出来たら研究する、という方よりは、研究費のあてがない時には自腹ででも研究をするような人が最終的には研究者として成功しているように思います。

 そもそも趣味が教育研究だと普段の暮らしに大金はいりません。給与水準が国際的には低くとも自由平等とやりがいがあるため、多くの東大教授が日夜教育研究に邁進し、自己実現を達成し、満足しているのだと同僚を見ていると思います。

 ただ、部局や組織によっては、気の進まない会議や書類作成に時間を奪われて、思うように自由な時間がとれなくなっている場合もあるのかもしれません。また、研究がうまくいってその分野で世界に名を馳せる学者になれても給与が特段増えるわけではなく、待遇としてはやる気を失いゆったりと日々を過ごしている同僚とほぼ同じだという点に不満をいだく場合もあるのかもしれません。

 そうした状況で海外の一流大学から良い条件の転職オファーがあれば日本を飛び出して海外に転出する一流の大学教授の先生もいらっしゃることでしょう。逆に、海外の一流研究者を海外標準の給与で遇する仕組が東大でも導入され、何人かの先生方には総長以上の給与が支払われているはずです。

 では、大学教授がそんなに悪くない仕事だとして、大学教授になるにはどうすればよいのでしょうか。大学教授を選ぶのは大学教授ですが、人物評価能力が高いから大学教授についているわけではありませんし、場合によっては私的感情に支配されたりもするでしょう。実力と実績があるからといって必ずしもなれるとは限りません。逆に、どうしても特定の分野の専門家が必要だという場合、実力や実績に乏しくとも大学教授になれる機会はあります。

 マックス・ウェーバーによる古典『職業としての学問』でも述べられている通り、学者になれるかどうかは本人の能力や努力以外の運に大きく左右されます。希望していても大学教授になれない場合には運の問題だとさっさと見切りをつけて、他の知的職業で充実した人生を送るのが良いと思います。

 大学からもらう給与以外の講演料や原稿料といったいわば「お布施」の相場、専門家として国会に召致されたりテレビから出演依頼が来たりした際にどうすればよいのか、大学教授への道、仕事、やりがいなど、本稿では紹介できなかった点については拙著『東大教授』(新潮新書、2014年)をぜひご覧ください。本のタイトルや帯に反発を覚えた方もいらしたようですが、東大に限らず全国の大学の先生方に支持を頂戴しましたので、読んで面白く感じるかどうかで大学教授に向いているかどうかがある程度わかるかもしれません。皆様のご参考になれば幸甚です。