意外だった「僧侶派遣サービス」の実態


 そんなわけで登録した「僧侶派遣」ですが、早速矢継ぎ早に依頼が入ってきて東奔西走の毎日が始まりました。

 当初こういうサービスを選ぶ人というのは、坊さんなんか付き合いたくもないけど儀式上仕方なしに呼んでいるのだ、と思っていました。実際にこれらのサービスの中には「檀家になる必要がなく一回限りのご縁」ということを「売り」にしているものもあるのです。

 しかしそれは勘違いでした。通夜や法事では通常法話をしますが、みなさん本当に関心を持って頷いて聞かれ、様々なことを相談して来られるし、少なくない方がその後の法事の依頼もされます。手紙を頂いたりもっと話を聞きたいと言われる方も少なくありませんでした。

 よくよく考えれば地元の付き合い寺との関係やしがらみもないのに、数万円という安くないお金を払われてこうした「サービス」を申し込むというのは、仏教のことを大事に思っているという証拠です。

 「仏教が大事なんじゃなくて、亡くなられた方のことを思ってのことだろう」と言われる方もあるかもしれませんが、お葬式はともかく法事はお坊さん無しでする人も今は多く、わざわざネットで探して依頼するというのは、そこに何かしら仏教への気持ちがあるのだと思うのです。

 何しろ随分いろんなところに行きましたから、その中から近くのお寺の法話に参詣されたり、仏教書を読まれる方も出てこられました。浄土真宗の法話案内というこのインターネットの法話案内サイトや、響流書房という仏教書の電子出版の取り組みも、こうした人達との交流から必要性を感じて始まったものです。

寄せられる批判の声


 こうした「派遣で坊さんしています」という話は隠さずいろんな人に話したのですが、住職仲間からは相当批判されました。結構激しい喧嘩になったこともあります。

 批判する人の思いはよく理解できます。おおまかに言うと、

(1)お布施が定額というのは本来の姿に反している。
(2)業者へのお布施のキックバックの問題。
(3)葬送儀式が疎かになるのではないか。

 というだいたいこの三点に集約されるように思います。中でも一番は(1)の問題で、お布施はそもそも自由意志によるものだという原理原則論です。額が決められてしまったらそれは法要儀式の商品化に繋がるし、払えない人は排除されてしまうのではないかという懸念です。

 これについては慎重な議論が必要ですが、実際のところはお布施は自由意志とはいいながら結構「定額」になっている部分も少なくないのです。例えば多くの寺院が取り組んでいる「納骨堂」はどこも大きさによって「◯◯万円以上」とお布施額が決められていますし、トップである本山そのものが「割り当てられたお布施」を末寺に課している事実もあり、「院号」の申請も定額です。

 それらをこの問題と一緒にはならないと思いますが、少なくともお布施は自由意志という「原理原則」は、かえってこちらの都合で割りと勝手に破られてきたようにも思います。

 依頼される方についても大体はお気持ちというよりも、親戚やお寺に詳しい人に聞いたり、ネットで「相場」を調べたりして額を決めているのではないでしょうか。

 額を決めると払えない人が排除されるというのはその通りです。ただ、ネットでこういうサービスを申し込んだ人は、お寺とのつながりが無いがゆえに、どこに頼んだらいいのかもわからず、更に僧侶を呼んだら法外なお布施を要求されるのではないかという恐れがあり、その不安からためらっていた人が多いのです。

 一部ネットで言われるように「戒名に百万円請求された」なんて事は「そんなのマジかよ絶対にありえねぇ!」「そんなのはごく一部だろ、一緒にするな!!」と思う僧侶がほとんどでしょう。しかし、事実としてそういうことをした僧侶はいたわけで、不安を与えてきた私達の有様は事実です。

 額を決めることで排除される人もいれば、額を決めないことで排除される人もいるのです。定額が僧侶を呼ぶ不安を軽減して仏教に出遇う道を開いたのなら、それもひとつのお布施のあり方として認めてもいいのではないでしょうか。

 (2)のキックバックの問題については、私は業者を紹介料を払うのは当然だと思っていますが、少なくとも依頼者に対しては、どこまでがお布施でどこまでが紹介料であるのかを明示するべきだと思っています。

 以前はこのどこまでが紹介料でどこまでがお布施なのかということが明示してある業者もあったのですが、現在は消えているようです。なのでここであえて明らかにしますが、皆さんがこれらのサービスを利用して僧侶に「お布施」を払うと、その中から通常3割から5割、平均で4割くらいがキックバックとして僧侶から仲介業者に払われます。

 (3)の葬儀儀式が疎かになるというのは儀式を執行する僧侶次第という面もありますが、経験上これらの業者による葬儀式は設備の回転を高めるために無茶な組まれ方をすることが多く、確かに指摘は当たっていると思います。法事にしてはその限りではないでしょう。