しかし、平成十四年には厚生労働省所管の財団法人がピルを勧める冊子を全中学生に配布していた(その後一部回収)のである。

 フェミニストは性教育で羞恥心や品位や情操という精神の高貴性を傷つけても恬として恥じない。男女関係の神秘を剥ぎ取れば、家庭破壊の劇薬であるフリーセックスに対する心理的障壁が取り除かれる。これはフェミニズムのイデオロギーが要求しているのである。厚生労働省の団体が中学生にピルを飲まそうと考えたのもフェミニストが裏で暗躍しているからである。

 摘示したらきりがない。政府はフェミニストに乗っ取られていると思わざるを得ない。

 このまま国民が事態を黙認すれば、前記報告書通りの政策が着々と展開され、国民が気付いたときには、フェニミズム先進国アメリカと同様に、離婚率が急上昇して貧困母子家庭が増えるであろう(今年一月二十日付読売新聞によれば、一九九八年から二〇〇三年の五年間で離婚が原因で母子家庭・父子家庭となった世帯は一・五倍に急増、既にその兆候が現れている。母子家庭の平均年収二百十二万円)。子供たちは「育児の社会化」の名のもとに公・私立の育児センターに預けられ、「母親の手厚い愛情」から引き離されて情緒不安定になって荒れ、薬物中毒や犯罪に走ることになる蓋然性も極めて高い。

 家庭が崩壊したら、男も女も最も私的な生存基盤を破壊され、荒涼たる原野に投げ出されることになるだろう。そうなれば世界的にも類まれな、思いやりのある優しい我が国の国民性が消滅することは必至である。

 こうなったのは、政府が、「男女共同参画」「ジェンダー」などという曖昧な用語を使って意味論的な混乱に導き、基本法が求めているのは実は「常識的な男女平等ではなく家族・社会の解体である」という核心的事実を隠蔽しているからである。その為、国民は事態の重大性を認識できず、異議を唱えることもできなかった。こうして姿の見えない「無血革命」が進行しているのである。

 基本法はフェミニズム(日本ではジェンダーフリーと言い換えられてきた)、つまり家族破壊を目指す過激なイデオロギー(ユートピア論)を体現したものである。そして、この革命的イデオロギーを世界中に拡散させているのがCEDAWである。

 政府がこのジェンダーフリー条約の批准を基に社会のジェンダーフリー化を進めて二十年が経過している。さらに、ジェンダーフリー法ができて五年が経過している。もはや手遅れの感があるが、我が国は民主主義の国である。果たして、このような事態は多くの国民が了解できるのか公開の場で大いに議論されなければならない。

過激派が称賛する条約


 男女共同参画社会基本法は平成十一年(一九九九年)に衆参両院で可決され成立した。大多数の国民は殆ど何が議論されているのか分らないまま、淡々と密やかに、ノンストップで法律となった。一方、「女子差別撤廃条約」(CEDAW)は昭和六十年(一九八五年)に批准された。

 基本法はCEDAWに対応する国内法である。 CEDAWは第十八条で、締約国政府に「この条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上その他の措置」を定期的に国連事務総長に報告することを義務付けている。日本政府はその第五回報告(平成十四年)で、男女共同参画社会基本法制定を条約に則って実施した措置として報告している。つまり、基本法の制定は日本にとってはCEDAWの義務遂行の一環だったのである。

 ところが、条約批准や基本法制定の際の国会論議では、驚いたことに、フェミニズム思想について何ら触れられていない。基本法の原案を作った男女共同参画審議会(旧)に関わるフェミニスト官僚や学者たちの暗躍も報道されているが、それだけで基本法が突出して成立したわけではない。背景に一九六〇年代からのフェミニズムの世界的な潮流があり、国連を仲介して世界的にその思想が制度化されていったという歴史的事実がある。フェミニズムイデオロギーと条約の関係について、有名なアメリカの過激派フェミニスト、ケイト・ミレットKate Millettはその著書「性の政治学(Sexual Politics)」(一九六九年)の二〇〇〇年版の序文で次の通り述べている。初版出版以来30年が経過し、この間、アメリカ及び広く西欧諸国に多くの偉大な変化がもたらされ、フェミニズム運動の第二波が大きく盛り上がった。だが同時に、『国連』がグローバル・フェミニズ厶に対応して着実に家父長制の改革を進めているにも拘らず、大きなバックラッシュと反動を引き起こした」(傍線筆者)「家父長制」(patriarchy)は、ミレッ卜の思想の中核概念である。彼女は「家族も社会も国家も家父長制である」といい、「結婚制度と自然にできた家族を完全に破壊することが、理想社会を建設するために必要である」と主張した過激派である。その過激派が、国連が女性差別撤廃条約を作り、五年ごとに世界女性会議を開催して様々な宣言を出してフェミニズムを推進していることを評価しているのである。「この条約は過激派ご推奨のフェミニズム条約である」と証言しているのである。

 こうして、国連は、フェミニズムという革命思想を条約として制度化し、正統思想に仕上げたのである。

 CEDAWは一九七九年十二月十八日、国連で採択され、一九八一年に発効、日本はいち早く一九八〇年七月十七日に署名、一九八五年六月二十五日に批准した。二〇〇四年十二月一日現在、締約国は百七十九力国に達している。

 国連がフェミニズムの化身のような条約を作った背景には、アメリカのフェミニズム運動がある。

 国連はアメリカ・ニューヨークに本部を置いている。そのアメリカで一九六三年、ベティー・フリーダンの『女性神話』(the Feminine Mystique)が世に出て、現代フェミニズムのイデオロギーが生まれた。その後フェミニズム思想は急速に普及し、かつ過激化していった。

 フリーダンは、『女性神話』出版当時、黒人差別撤廃のための怒濤のような公民権運動の成功に着目し、一九六六年に少人数のフェミニスト・グループで全米女性同盟(NOW:National Organization for Women)を結成、政治的活動を開始した。
 アメリカは当時、ケネディ大統領(民主党)の暗殺(一九六三年)を経てジョンソン大統領(民主党)の時代であり、一九六五年頃から高まったべトナム反戦運動と並行してマーチン・ルーサー・キング牧師率いる公民権運動が展開された激動の時代であった。ケネディの名声と相俟って民主党系のリべラル思想がアメリ力を席巻し、リべラル派が推進する女性差別撤廃運動も急速に全国的に波及した。ヒッピー集団のフリーセックスは反戦の象徴だったが、フェミニズム運動の象徴でもあった。

 全国女性連盟を中心とするフェミニズム団体は、黒人の公民権運動との相乗効果で急速に支持を広げ、巨大な政治的勢力に成長した。一九七〇年代に入ると女性差別を根絶すると称する憲法修正案(ERA)を要求した。

 アメリカでは次回に述べるように、 ERAをめぐって、一九七二年から八二年までの十年間にわたってフェミニスト側とアンチフェミニスト側との間の大論争がマスコミや州議会を舞台に展開された。その結果、フェミニズムの主張はデタラメな根拠と嘘の上に成り立っていることが赤裸々に暴露され、 ERAは廃案となった。公開論争を通じてフェミニズムが過激な革命思想であることを大多数のアメリカ国民が知ることになり、 ERAを拒否したのだ。当然ながら、アメリ力はフェミニズムを体現したCEDAWを(民主党政権下でさえも)批准していない。

 こうしたアメリカ国内の経過と国連の関連を直接検証できる資料はないが、国連の人権委員会の官僚、特に、条約を作成した「女性の地位委員会(the Commission on the Status of Women CSW)の官僚はニューヨークの国連本部で具(つぶさ)にこの動きを見ていたはずである。

 国連は、 CEDAW採択にいたる背景を文書「CEDAW小史」で、こう説明している(要旨)。

 基本的人権の促進は国連の基本的任務の一つであり、国連発足以来今日まで活動を行ってきた。女性の人権については、一九四六年、経済社会理事会の人権委員会の下に「女性の地位に関する小委員会」が設置され、女性の政治的権利、結婚の最低年齢、国籍問題、など個別の問題に関する条約を作ってきた。
 一九六三年、国連総会は、これらの個別の成果を一つの文書にまとめる決議を採択し、このプロセスは「国連内外の女性活動家(women activists)により支持された」(引用)。こうして、一九六七年、総会で「女性差別撤廃宣言」が採択されたが、これは道義的政治的宣言で条約としての拘束力が無かった。その後、「一九六〇年代の新たな女性差別への関心の高揚」(同)を踏まえCSWが主導して一九七四年、「一本化した包括的な国際的に拘束力のある女性差別撤廃のための文書」(同)の作成を決定、この作業は、一九七五年のメキシコでの「国連婦人の十年世界会議」が女性差別撤廃条約の作成を求めたこと及び、国連総会が、一九八〇年にコペンハーゲンで開催される同世界会議の中間レビュー会議までに条約草案を完成することを要請したことにより促進され、一九七九年、国連総会で条約が採択された。

 この説明では、フェミニズムあるいはフェミニストという用語は一切使っていない。しかし、「60年代の女性差別への意識の高揚」が「フェミニズム運動」、「国連内外の女性活動家」が「フェミニスト」であることは、アメリカのフェミニズム運動との時系列上の重なりから容易に読み取れるのである。