本性を隠して世界革命を遂行


 その後五年ごとに開催されてきた世界女性会議の文書にも、一切フェミニズムという文言は出てこない。国連は、フェミニズム思想に基づいてCEDAWを作ったことを認めれば、アメリカの経過と同じようにこのイデオロギーの過激性と嘘がばれることを十分承知していたのである。

 その上で、国連はCEDAWの本性を隠蔽し、世界人権宣言(一九四八年)以来の人権思想で言う「男女平等」の枠内の差別撤廃であると偽装した。この点が、この条約理解の核心である。

 CEDAW前文は次のように始まる。「この条約の締結国は、国際連合憲章が基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の権利の平等に関する信念を改めて確認していることに留意し、世界人権宣言が、差別は容認することができないものであるとの原則を確認していること(中略)すべての人は性による差別その他いかなる差別もなしに同宣言に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることに留意し…」このように「普遍的人権思想」に基づく条約であることを装ってはいるのだが、その偽装は、世界人権宣言を通覧すれば直ちに露呈する。同宣言第16条(3)は「家族は、自然に形成された社会の基盤的単位であり、社会及び国家に保護される権利がある」、すなわち「家族は国家及び社会から不可侵の領域である」という自由主義社会の原則を明示しているのである。
 これに対し、 CEDAWは、この原則とまったく相容れない家族破壊思想を条文化したのである。

 その条文は、各国の法律、慣行や慣習といった固有の伝統や文化、さらに思想・行動の自由という私的自治権を見事に蹂躙している。第二条(f)「女子に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること」あるいは、第五条(a)「両性のいずれかの劣等性若しくは優越性の観念又は男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的及び文化的な行動様式を修正すること」と定めているからである。

 何より問題なのは、「差別」や「偏見」の定義がCEDAWには具体的には定められておらず、恣意的に拡大される可能性があり、実際にそうされてきたということである。

 例えば、一九九五年に北京で開催された世界女性会議が採択した「北京宣言」に、「ジェンダー」という文言が初めて登場した。ジェンダーは政府の説明では社会的、文化的性差と訳されているが、ジェンダーこそ現代フェミニズム思想の中核であり、フェミニズムの戦略的概念である(ジェンダー概念についての説明は回を改める)。この概念をフェミニストは恣意的に解釈して差別概念を無限に拡大する鍵となっている。

 こうして、ジエンダー概念を公然と使用してCEDAWはフェミニズムのイデオロギーに基づいていることを公然化したのである。その後、 CEDAW第十七条に基づき国連に設置された「女子に対する差別の撤廃に関する委員会」(以下、撤廃委)は「ジェンダー」という文言を公文書に平然と使い、後述の同委員会のコメントに見るように、フェミニストが言うがままの要求を締約国に倣慢に突きつけるようになった。

 日本でいえば、「間接差別」が現在最も注意を要する差別の「拡大概念」である。間接差別とは、「身長や体重など一見、性別と関係のない中立な基準や条件であっても結果的に多数の女性が不利になる制度」とされる。例えば身長一七五センチ以上という採用基準があるとしよう。言葉上は女性を排除するものではないが、高身長化した現代女性でも、この基準を満たす者は殆どいない。これが差別とされかねないのである。企業が正社員とパート、世帯主と非世帯主との間で待遇に差をつけるのも男性のみを優遇する措置ではないが、現状でパートや非世帯主の多数を占める女性が不利になるため「差別」とされかねない。この間接差別を「合理性や正統性がない限り」禁止する男女雇用機会均等法の改正案が来年の通常国会に提案されようとしているのである。
 均等法の改正が実現すれば経済界に与える影響の大きさは計り知れない。にもかかわらず法改正にかかわる議論は厚生労働省が所管する労働政策審議会など大多数の国民の預かり知らぬ所でひっそりと行われているだけである。この間接差別の禁止も、後述する「指令システム」によって国連が法令に盛り込むよう日本政府に勧告してきたものなのだ。

 「間接差別」禁止の影響は労働問題にとどまらない。夫婦同姓を維持している現行民法は男女どちらの姓でも選択できるため性差別とは全く関係ない。ところが、現状は男性つまり夫側の姓を選択する夫婦が圧倒的であり、「間接差別」とされる可能性が強い。

 このように「差別」の概念が際限なく拡大していく事情を、アメリカの共和党系シンクタンク、ヘリテージ財団はこう分析し、国連を批判する。