その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初二千六百名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。また一九一五年には袁世凱政府との四カ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華二十一箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。

 中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし四年後の一九一九年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華二十一箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「『日本史から見た日本人・昭和編』(渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。一九〇一年から置かれることになった北京の日本軍は、三十六年後の廬溝橋事件の時でさえ五千六百名にしかなっていない「『廬溝橋事件の研究』(秦郁彦、東京大学出版会)」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し三百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成十八年五月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは一九四〇年から一九四八年までの八年間これをモニターしていた。当時ソ連は一回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である一九四三年から解読作業を開始した。そしてなんと三十七年もかかって、レーガン政権が出来る直前の一九八〇年に至って解読作業を終えたというから驚きである。

 しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し一九九五年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば一九三三年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には三百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。