はからずも、昨年あたりからスポーツをめぐる本質的な問題点を社会が共有する出来事が相次いで起こっている。エンブレム問題、新国立競技場の設計変更、さらには野球賭博問題、そして最近の裏カジノ事件など、「スポーツって根本的にずれているんじゃない?」「スポーツはこのままでいいのか?」、核心から見直す機運が高まり、スポーツに対して厳しい眼差しが向けられるようになった。

 これは、「スポーツ選手や競技団体の不祥事は決してその当事者だけの問題でなく、現在のスポーツ界の構造や体質が生み出している根本的な病弊だ」と提言し続けてきた思いがようやく世間に伝わる形となった。が、一方で、グラウンドやスタジアムを「迷惑施設」とし、少年少女がスポーツに打ち込む音や声まで「騒音だ」とする、新たな社会通念が加速度的に形成されつつある。スポーツ愛好者からすれば「行き過ぎではないか」と感じるほど、これまで社会の少数派と思われていた「スポーツは嫌い、迷惑だ」と不満を募らせていた人々に大きな力を与える情勢にもなっている。


神宮球場
神宮球場 
 神宮球場の問題に話を戻そう。
 組織委員会の要請を受け入れれば、プロ野球のヤクルト・スワローズは開幕後一カ月程度でシーズン終盤まで本拠地を失う。 球場が完成したのは1926年。東京六大学野球連盟はその建設に協力し、1931年の拡張工事(収容人員を5万5千人に増設)の際は工事費を負担したとホームページに記している。その東京六大学、さらには東都六大学連盟も長年の本拠を失う。他に場所を探すことは不可能ではないだろうが、とくにプロ野球はシーズンチケットの販売を大きな収入源の一つとしている。そこへの影響は甚大だ。そのような実態を把握し、補償も含めて組織委員会が要請しているのだろうか。

 私は、こうした唐突とも言える要請を契機に、なかなか変革できないスポーツ界が大きく変わるきっかけになるのもひとつの恩恵とも考える。ヤクルト・スワローズがその年だけ一時的に仮の宿を探すのでなく、「関東に集中しがちなプロ野球のさらなる地方分散のため、本拠地移転を実行する」などの選択と決断をすることもひとつと思う。アマチュア球界にも同様のチャンスと言うこともできるだろう。東京六大学は、歴史と伝統を謳っているが、神宮球場に閑古鳥が鳴いて久しい。新入学した学生たちが、母校の応援で神宮を訪れることが大学生たちの喜びのひとつといったかつてあった慣習も今は風化している。これうをどう変えて、一般の学生と野球部の交流を図って部活動の意義を高めていくのかを改革する好機ではある。

 だが、日本のスポーツの未来を醸成し創造する中心基地であるべき組織委員会や日本オリンピック委員会がこの程度の発想と見識しか持たないことへの失望は改めて明記しておきたい。