メディアを抜きにして被災者救済はできない


 「報道ヘリ」の騒音批判に関しては、阪神・淡路大震災のときにも同じようなことがあった。現場で瓦礫の下の生存者の救済に当たっている作業員から、「生存者の声がヘリの音がうるさくて聞こえない」という不満の声が上がったからだ。

 しかし、当時の神戸上空には報道ヘリだけが飛んでいたわけではない。自衛隊をはじめ多数のヘリが飛んでいた。それなのに、なぜか報道ヘリだけが視聴者の槍玉にあがり、「ヘリで取材するひまがあったら救援物資を落とせ」など、ヒステリックに批判された。

 しかし、これらの批判は、みなテレビ報道を見た一般視聴者が、正義感にかられてメディアを批判したもので、きわめて感情的なものである。

 今回の熊本でのツイッターやFAXでの批判も、ほぼあのときと同じだ。自分たちは安全なところで見ていて、現場の救援作業が進まない苛立ちを誰かを悪者(つまりメディア)にすることで解消しているに過ぎない。

 私は、ツイッターが災害や事件に対して大きな効力を発揮することに異論はない。しかし、それは現場にいる人間や当事者が発するツイッターであり、外野が発するツイッターではない。メディアに向かって「被災者にとってメディアは迷惑な存在だと自覚せよ」などという“正論”をぶつツイッターユーザーには、「そんなに言うなら、あなた自身が現場に行って被災者を助けてみろ」と言いたい。

 それなのに、今回もまたメディア側の人間までも、「報道ヘリを1社に限定するようにできないか」「救助は初動72時間が勝負。せめて72時間は報道ヘリが飛ばないよう法制化を」などと言い出したのにはあきれた。

 報道ヘリも現場クルーも、ある意味で、“使命感”に基づいて取材をしている。メディアはともかく伝えるということが、最大の使命で、それだけは果たしている。

 被災者にとって、メディアは邪魔者かもしれないが、全国の人々にとっては、空撮や現場報道によって伝えないかぎり、その災害の全容はわからない。たとえ一時的に邪魔に思えても、メディアを抜きにしては、被災者の救済はできないと、私自身の経験から思う。

梨元勝氏が深く反省したメディアの暴走


 話は古くなるが、芸能リポーターの故・梨元勝氏がいちばん悔んでいたのは、「報道ヘリ」で大変な間違いをしでかしたことだった。「あれは本当に間違いだった。いまも悔んでいる」と、私は梨元氏から何度も聞いた。

 1986年11月、伊豆大島の三原山が大噴火を起こし、島民が船で緊急避難するという大災害が起こった。このときも、テレビをはじめとするメディアは報道合戦を繰り広げ、ワイドショーも連日、大島と避難した人々の状況を伝えた。

 そんな最中、梨元氏はある歌手から両親が大島に住んでいて、かわいがっていた目の悪い老犬を置き去りにして避難してきたという話を聞いた。それで、大島への取材が解禁されたとき、報道ヘリに乗って、その老犬を救出に向かったのである。カメラは報道ヘリの離陸から回され、大島で老犬を発見して東京に戻って来るという一部始終がワイドショーで放映されると、視聴者から猛烈な抗議が殺到した。「苦しんでいる被災者がいるというのに、犬1匹のためにヘリを飛ばすとはなにごとだ」

 これは、視聴者の言う通りだった。梨元氏は深く反省し、視聴者に謝罪した。

 「ともかく視聴率。そのために感動的なシーンを撮れればと後先を考えずに突っ走ってしまった」と、梨元氏はうなだれた。

 これはメディアの暴走の最たる例だが、現在のテレビ報道はここまでひどくはないだろう。