「コンビニの食料をマスコミが買い占めた」は、ほとんど嘘であると断じられる。現地で暮らす被災者の人数と、取材に訪れるマスコミの人数を考えれば、被災者が買い占めたと考えるほかはない。

 コンビニの棚というのは、商品が溢れているように見えるが、狭い店舗でも品物の種類を増やすために一点あたりの品数は意外と少ないのである。

 例えば震災時に求められるであろう2リットルの水は、1単位(ダンボール1箱あたり)6本なので、客が少ない店なら6本。普通の店なら12本くらいしかストックしていない。南アルプスの天然水と、自社のPB商品で、あってせいぜい24本である。

 それでもほとんど品切れをしないのは、店舗裏に大きな倉庫があるからではなく、普段の売上を見ながら、最小限の数を毎日発注し、それがコンビニ本社が各地に持つ配送センターから毎日届けられるからだ。無くなりそうになっても、すぐに次の商品が届くから、コンビニの棚はいつも商品が溢れているように見えるのである。

 だから、こうした震災が発生し、普段では考えられない客が殺到しするようなときには、すぐに必要とされる商品は無くなってしまう。もちろん道路なども被災しているから、次の商品が普段通りに届くとも限らない。

石垣などが崩れた熊本城=4月17日、熊本市(産経新聞社ヘリから、三尾郁恵撮影)
石垣などが崩れた熊本城=4月17日、熊本市
(産経新聞社ヘリから、三尾郁恵撮影)
 そうしたことを知らずに、商品がなくなったコンビニの棚を見ると「普段はたくさんあるのに、今日はない。マスコミが買い占めたに違いない」と、短絡的に考えてしまうのだろう。

 最後に「カメラクルーなどが邪魔」というのは、そのとおりなのだろうと思う。

 実際、ぼくも歩いていて取材をしているクルーなどを見かけることがあるが、彼らは数人でまとまって、比較的長い時間、同じ場所をうろうろしているので邪魔である。

 1つのクルーだけでも邪魔なのに、それが何社も訪れればとんでもなく邪魔だろう。ましてや震災で精神状態が平常ではない時だから、クルーに怒りが集まるのは理解できるし、それを否定する気はない。

 しかしながら、取材クルーは決して邪魔をするためだけに取材をしているのではない、取材によってメディアで被害が報じられ、関心が集まることによって、多くの支援物資や寄付金などが集めやすいという状況を生み出しているという役割を果たしていることが挙げられるだろう。

 東日本大震災が発生した翌日、長野県北部の栄村でも震度6強の地震が発生し、家屋の倒壊や土砂崩れ、道路の寸断などが発生した。

 本来であれば、マスコミが駆けつけ、その被害状況をつぶさに報じたのだろうが、マスコミの大半は東北の津波被害や原発事故の取材に追われ、栄村の情報はほとんど取り上げられることはなかったし、わずかに取り上げられても、人々の記憶からはすぐに消えていった。

 被災当初は役場もうまく機能せず、情報発信もままならなかったと聞く。この時にマスコミにもっと人手があれば、役所の代わりに栄村の情報を、首都圏の人たちにもっと届けることができたはずである。

 マスコミが積極的に取材をし、それを報じなければ、いかに苛烈な震災が発生したとしても、その土地と関係ない人が被害の程を知るすべがなく、支援の手が届きにくくなってしまうのである。

 たとえ現地の人たちにとって、マスコミが邪魔に見えたとしても、その土地と関係のない多くの人たちは、マスコミが報じることではじめて問題を知ることになる。その情報拡散能力があってはじめて、多くの人が遠く離れた地域の被災に関心を持つのである。たとえ一時的に邪魔に思えても、マスコミが被災地報道で果たす役割は、他には変えられない重要なものであるといえる。

 被災地の方々には本当に申し訳ないし、震災というどうにもならない状況で怒りをどこかにぶつけたい状況であるのも理解はするが、マスコミが殺到しているという状況を見ても、けっして邪魔をしに来ているだけではないのだということを、頭の片隅に入れておいていただければと思う。