これらの自粛は、本当に自発的である。だが、さらに世間の目を気にしての自粛があるだろう。個人であれ、会社であれ、マスメディアであれ、世間の評判は大事である。無視はできない。社会の多数の人々が、宴会やお笑い番組をすべきでないと思っているなら、自粛も当然だろう。

 しかし、実際は少数のクレームを恐れての自粛が行われている。だから、過剰な自粛になってしまう。少数のうるさい人々、ノイジーマイノリティーの影響力は、前にもまして大きくなっている。問題を起こさないように、クレームが来ないようにと思えば、率先した自粛が行われてしまうだろう。

 しかし、多数派はそのくらいのことは良いと思っている。ただそれは、サイレントマジョリティーとして、あまり大きな声は上げない。その中で、ノイジーマイノリティーなど恐れないとする堀江貴文氏や本田圭佑選手が、過剰だ、馬鹿げていると声をあげるのだろう。

 では、なぜある人々は、不謹慎だ自粛するべきだと大声をあげ、攻撃的な言動をとるのだろうか。これも、いくつかのことが考えられる。何種類かの人がいるのだろうし、また一人の人の心理にいくつもの面があるのだろう。

 一つのパターンが、日ごろからストレスをためいている人たちである。人生が上手く行かず、イライラしている人は、どこかでストレス発散を考える。ただし、違法なことや乱暴なことはできないと感じている。

 そのような人にとって、みんなで喪に服すべきなのに、自粛すべきなのにそうしていない人は、格好の攻撃対象になる。大企業やマスコミは、個人からの抗議電話なども決して切らずに最後まで話を聞く。反撃に出ることもない。これは、攻撃しやすい対象である。特に日ごろから大企業やマスコミを快く思っていない人たちにとっては、絶好のチャンスだろう。

 人生が上手く行っていない人だけではない。むしろ管理職などを務めている地位の高い人々の中にも、自分こそが正しく、間違っている人に説教をすべきだと感じている人もいる。このような人々が、自粛こそ正しいと思えば、正義の味方のご意見番として、クレームをつけてくることになるだろう。

 さらに、苦情をよこす人々の中には、心やさしい人もいるのだろう。この人々は、連日の災害報道を見て心を痛めている。共感し、同情し、本当に心身の調子をくずすほどにまでなっている。この状態を「共感疲労」と呼んでいる。