人は、共感疲労に陥ると、気持ちが沈み、不眠や食欲不振になるだけではなく、人間関係に余裕を失う。自分がこんなに心を痛めているのに、報道番組を見て冗談を言うような人を見ると許せなくなる。水が欲しいと被災地の子どもが訴えている報道を見ながら、おいしそうにビールを飲んでいる人を見ると、無性に腹が立ってくる。

 実は、今笑っている人もビールを呑んでいる人も、心配していないわけではなく、募金の呼びかけにも応じたりする人もいるだろう。今は、仕事の疲れを取り、明日も元気に働けるようにリラックスしているだけなのだが、共感疲労によって心が疲れていると、そのように考える心の余裕を失うのだ。このような共感疲労に陥っている人たちも、攻撃的に大企業やマスコミに文句を言う人たちだ。

 様々な理由で人は、自粛せよと文句を言う。批判する人は感情的だと反論するが、感情は無視すべきではない。また感情的だからこそ、活動して経済を発展させるほうが被災者のためにもなるといった説明は通用しないだろう。

 自粛する企業の側も、それは感情論であり、少数者の意見であることもわかってはいるだろう。しかしそれでも、対応に失敗すればバッシングの輪が広がってしまう危険性もある。そのリスクを考えれば、自粛していたほうが無難だと考え始め、結果的に過剰で馬鹿げたほどの自粛も生まれてしまうのだろう。

 大災害発生時には、必要な自粛がある。そして不必要で過剰な自粛も起きてしまう。それを防ぐためには、悲しみを共有し、支援に積極的であることを示す必要があるだろう。個人の葬儀の場で、笑顔で昔話を語る人々もいる。それが許されるのは、本当は悲しみを共有しているとみんながわかっているからだろう。

 経済活動は必要であり、元気を蓄えることは大切であり、沈んでいる日本で、多くの人が楽しみにしているドラマやお笑い番組がある。その活動や放送を守るためには、悲しみの共有を理解してもらうことだろう。そうすれば、共感疲労の人々からの怒りをやわらげることができる。正義の味方を自称する人に、錦の御旗を渡さないですむ。この企業やマスコミは、きちんと被災者と寄り添っているとわかってもらえれば、ノイジーマイノリティーの活動に多くの人々が惑わされるリスクも減るだろう。