私が「謝罪会見」した最大の理由


 そんな私がなぜ「謝罪会見」を決断したか? その最大の理由は、世間のバッシングから“ふたりの女性”を守るためだった。元はと言えば自業自得の“不倫騒動”なわけで、こうなった以上は自分が矢面に立って何とかしなければいけない、という思いがあった。日々過熱していく報道や世間のバッシングを何としても沈静化させなければならなかったし、彼女たちの今後の仕事のことを考えると、事態の泥沼化はどうしても避けたかったのだ。

 そして、こうした重要かつデリケートな問題を解決する唯一の方法は、やはり、私自身が世間に頭を下げ、謝罪の言葉を述べ、許しを乞うことだった。幸い謝罪会見後、事態は徐々に沈静化していったが、もし、川谷氏のように、「世間の誰に謝ればいいの?」などと言っていたら、大変なことになっていたに違いない。

 私が自ら体験した“不倫騒動”の顛末を振り返ってみると、そこにはまさに日本特有の“謝罪文化”が色濃く反映されているように思えた。日本人は謝罪することで揉め事や問題を丸く納め、水に流すという文化を培って来た。潔く謝罪することを美徳とし、そのご褒美に犯した罪を許すというものだ。争いよりも平和を好むといった日本人らしさを感じる素晴らしい文化だといえる。

 しかしそれは、“謝罪しなければ絶対に許さない”という事も意味している。特に、誰もが誰に対しても発言できるようになったネット社会では、謝罪を求める声やクレーム内容が度を越し、いわば社会の“謝罪圧力”になっているように感じるのだ。正当な主張や要求は多いに結構だが、理不尽な要求も少なくない。中には脅迫めいたものまで存在する。悲しいかな、それが“現代世間”のひとつの姿になっているように思う。

多くの報道陣が詰めかけたAPF通信社・山路徹代表(左)の会見=2011年2月26日、東京都渋谷区道玄坂 (川口良介撮影)
多くの報道陣が詰めかけたAPF通信社・山路徹代表(左)の会見=2011年2月26日、東京都渋谷区道玄坂 (川口良介撮影)
 芸能人もスポーツ選手も大企業も政治家も、いざ問題を起こせば事の大小に関わらず、たちまち“ネット世間”の標的になり、“謝罪圧力”をかけられる。ネットを中心とした社会環境を考えると、そこから逃れるのはもはや不可能だ。ならば、不当な謝罪圧力や理不尽なクレームに屈しない強い信念を持たなければならないのだが、現実にはなかなか難しいようだ。

 つい先日も、タレントの矢口真里さんらが出演した日清カップヌードルのCMが視聴者からのクレームで中止になった。このCMは、なんでも正論を主張するお利口さんになるのではなく、バカをやろう!と訴えた斬新な作品だった。CMでは「世間の声とかどうでもいい。大切なのは自分の声を聞くってことだろう?」と謳い上げていたが、結局、世間の声によって放映中止に追い込まれてしまった。

 “過度な謝罪要求”や“理由なき謝罪”は社会を萎縮させるだけではなく、人々の進歩や社会の発展にも大きな妨げになることはあきらかである。“理由なき謝罪”で不倫騒動の危機から脱出した私がいうのも少々憚れるが、いま一度、“謝罪”のあり方を見つめ直す必要があるかもしれない。そんなわけで、私も個人的な騒動が身にふりかかった場合、世間には謝罪しないことにしようと思う。