多くの子どもや親が、もはや専門的な能力など公立小中学校の先生に求めていないと断言したら行き過ぎかもしれないが、そのことを教員自身が自覚したほうがよいと思う。

 私にこのような示唆を与えてくれる高校の部活顧問たちや小中学校の教員を務める知人たちはそのような認識を持ち、「このままでは教員がお役所の係員みたいになり、教育に携わっている実感がどんどん失われそうだ」と危機感をつのらせている。このままエスカレートすると、先生は「書面づくりや学校運営の管理遂行を担当する事務職員」のようになりかねない。

教員グループによるインターネットでの署名活動
教員グループによるインターネットでの署名活動
 頭に浮かぶのはテレビ局の社員の現状だ。テレビ番組の制作に携わりたくて難関を突破しテレビ局に入社しても、実際に制作現場に関わる人は多くない。制作現場を受け持つのは外部の制作会社や専門職(脚本家、演出家ら)である。子どもの教育に携わりたくて学校の先生になったのに、現場はすべて外部のスタッフが担当し、先生は「その管理が主」といった状況になりかねない。

 教員の労働環境を整備するのは重要だが、学校の本質を根っこに持たない議論は子どもたちを幸せにしない。部活顧問の強制がブラックだという問題ばかりを部分的に論じることは、いま学校や教員、もっといえば子どもたちが直面している本質的な悩みや課題に光を注ぐ具体的な行動にはならない。

 忙しすぎるというならば、通常の業務の見直しがまず先ではないか。なぜ、子どもたちと直接触れ合い、人間関係の温もりで子どもに情熱や知恵を注ぐべき小中学校の教員が書面づくりに追われるのか。

 放課後や週末、部活動に情熱をそそぐ英気を養う余裕を日常の勤務時間の中で確保する改善こそが本質だと考える。

 このままだと、「学校自体がいらないのではないか」「子どもたちは学校以外の場所に通わせたほうがよほど人間的に豊かに育つのではないか」といった社会的な目覚めが起こり、学校そのものの存続が問われる可能性とつながっていることも認識する必要がある。