父は前年、他界していた。

 「父ちゃん、おれもはな子の話し相手になったよ。どうか見守ってください」と墓前で手を合わせた。「お前にできるかな」。父がそうささやいたような気がした。

 「おやじが30年間も世話したゾウなら、話もよく聞いてくれるだろう」。とんだ思い違いだった。甘かった。世襲が通じる世界ではなかった。

 年を取ったはな子は歯が左下に1本しか残っていない。物をかむことができず、餌やりは飼育員泣かせだった。バナナやリンゴを千切りにして食事を与えたが、「当初はうまくいかず、歯がゆかった。でもやめられない。神様が引き合わせてくれたことを運命と感じていましたから」。

 「はな子一筋の『職人』だった父に追いつきたい」。その思いが支えだった。「父と同じく絶えずこちらから話しかけ、本気でぶつかれば、こちらの思いは通じるはず」。そう信じた。

 食事のパンにわざとつばをつけ、自分のにおいを覚えさせた。お尻を指で強くもんであげ、まぶたの辺りや鼻の先にも手を伸ばしてなでてあげた。はな子のことしか頭になかった。そのうち、はな子の方から握手を求めるように鼻を伸ばしてくるようになった。

 2年後には「はな子さんにお菓子をあげよう」という「ふれ合いタイム」を始めた。

 直接パンを与え、体に触り、遊ぶ。飼育員でさえ一時期は中に入れなかったはな子のおりに、子供たちが入った。他に例がないスキンシップの挑戦だった。子供たちの笑顔がはじけるのを見て、「自分の人生の選択は間違いなかった」と感じた。毎朝、職場に向かうのが楽しくてならなかった。

 「父のような昔かたぎの飼育員にしかられそうですが、はな子がゾウではなく、長年の友達に思えるようになっていました」

□     □

 父は生前、仕事については多くを語らず、「気を付けろ、油断するな」としか言わなかった。「自分の体験で学べ」という主義の父が教えてくれたのは、しつけに使う道具「手かぎ」の使い方だけ。「手かぎはいざというときお前の命を守る道具だ」との声がいつも聞こえていた。

敬老の日にちなみゾウの形をしたパンを振る舞われた「はな子」=東京都武蔵野市の井の頭自然文化園 (撮影・寺河内美奈)
敬老の日にちなみゾウの形をしたパンを
振る舞われた「はな子」
=東京都武蔵野市の井の頭自然文化園
 「飼育員は絶対、ゾウにけがをさせられてはならない。そうなれば、かつてのはな子のようにつらい境遇が待つ。自分を守ることは、ゾウを守ることなんだ」

 飼育方法に困り、行き詰まったときはいつも、「父ならどうしただろう」と考えた。亡父はいつも、的確な答えを用意してくれた。

 「今でこそ動物の飼育方法のイロハを説明した参考書はあふれているが、父の時代はゼロからのスタートだった。教科書がないところで答えを探す。どんなに苦労したことか」

 めげそうになるたび、昔の苦労を思った。

 「少しは『お手本』に近づいたとは思いますが、経験も浅いし、とてもかなわない。その道一筋の人物は輝いている。それが父だった。今後も父の後ろ姿を追いかけながら、輝きを放つ人間になりたい」

 現在は多摩動物公園に職場が戻ったが、はな子のことを忘れたことはない。はな子はいま、歓談中の飼育仲間の輪に「何を話しているの」と首を突っ込んでくるほど、人間と仲がいい。親子2代にわたる飼育の成果だった。

 (文 村上智博 写真 矢島康弘)