「やらねばならぬこと」と「できること」の峻別

 こんな当たり前のことを大の大人が読む媒体で書かねばならないことに、眩暈がする。

 憲法論議でこそ、「やらねばならぬこと」と「できること」を峻別せよ。

 しかし現実には、保守の論客諸氏が改憲論を語るたびに公明党や共産党が笑い転げていると聞く。私が逆の立場でも同じ態度をとるだろう。なぜなら、できもしないことに向かって何の作戦もなく無謀な玉砕を繰り返し、貴重な戦力を疲弊させ、結果として戦後レジームは安泰になるのだから。コミンテルンに踊らされて対米開戦に突入した、戦前日本と何ら変わらないではないか。

日米共同訓練で、自衛隊のヘリコプターから降りてくる米軍兵=平成22年、北海道・自衛隊上富良野演習場
日米共同訓練で、自衛隊のヘリコプターから降りてくる米軍兵=平成22年、北海道・自衛隊上富良野演習場
 戦時中、「勝つためのやり方を議論させろ」との主張は封殺された。決まり文句は、「聖戦を冒涜するのか」「非国民」であった。私はこの種の論法を「聖戦貫徹論」式議論と名付ける。そして「非国民」で結構。保守陣営が勝てない戦いを挑もうとするなら、あえて止める。

 そして、憲法論議における「聖戦貫徹論」式議論の筆頭として、「九条体当たり論」を挙げさせてもらう。

 これこそまさに、戦時中の「支那事変の展望が見えなくて苦しいから、対米開戦に活路を見出そう」式の議論に他ならないではないか。

 昭和十六年、蒋介石が弱すぎたから、無意味な支那事変を延々と続けても大日本帝国は滅ばなかった。しかし、長引く戦に苦しみ、国民は増税に次ぐ増税で生活は塗炭の苦しみに喘ぎ、ABCD包囲網と称される外圧に焦燥は頂点に達していた。そして、活路を見出そうと対米開戦へと至るのだが、こんにち、あの決断を正しかったと言える人は何を根拠に言うのか。

 言うまでもなく、当時のアメリカの横暴を語るに私は人後に落ちるものではない。正義は明らかに我が国にあった。だが、国家経営と理非曲直は別の問題だ。

 対米戦を三か月で片づけると豪語した杉山元参謀総長に対し、昭和天皇が立憲君主として被諮問権を発動するのは有名な逸話だ。

 「お前は支那事変が始まる時、一か月で片づけると申したが、四年たった今でも解決していないではないか」と。

 これに対し杉山は「支那は広うございまして」と言い訳する。

 ここで昭和帝の怒りが爆発する。

 「太平洋は支那より広いぞ!」と。

 立憲君主に許された最後の権限、警告権の発動だ。しかし、警告する権利や相談を受ける権利には限界がある。立憲君主は、政府が聞き入れなかった場合、その決定を覆すことはできない。もしやったとしたら、それは合法行為ではなく、承久の乱の後鳥羽上皇と同じ「主上御謀反」だ。

 無念ながら、歴史は昭和帝の懸念通りに進んだ。

 我々が戦後レジームの脱却などと、いまだに言わねばならないのは、あの時の愚かな決断の結果だ。

 くりかえすが、対米開戦直前の米国の非道、我が国に対する挑発は目に余るものがあった。明らかに大日本帝国こそ正義であり、悪はアメリカ合衆国だ。

 しかし、「支那事変が解決しないので活路を見出そうと対米開戦を行った」などという結論など、百害無益、取り返しのつかない決断以外の何なのか。

 今、戦後レジーム脱却、日本は敗戦国のままではイヤだ、との声が上がっている。敗戦七十年ではじめて憲法改正が政治日程にのぼった。これ、ひとえに岡田克也民進党代表のおかげではないか。その岡田克也相手にさえ、安倍内閣は憲法論議で苦戦している。

 昨年の安保騒動を見よ。

 安倍内閣が「集団的自衛権の行使を可能にする」と握り拳を掲げた安保法案など、国内の心ある人々や米国の親日派からは、「これではまずます行使しにくくなるではないか」と懸念が寄せられた程度の内容だ。現に、9か月も法案審議に時間をかけたあげく、米国が中国への牽制として行った「航行の自由作戦」に、自衛隊はまともに参加しなかった。また、法案内容にも問題がある。北朝鮮有事には自衛隊が救出活動を行えるのかと思いきや、「相手国の同意があれば」などという条件が付く。誰の許可を得るつもりか。だいたい、誰がこんなバカな内容の法案を出したのか。


 まだある。自民党がよりによって護憲派のチャンピオンとも言うべき長谷部恭男元東大教授を参考人として推薦し、「安保法案は違憲」と述べて大混乱に陥ったのは記憶に新しい。何を血迷って芦部信喜の葬儀委員長などを推薦したのか。これでは、共産党が倉山満を推薦するようなものではないか。その直後の処理がさらに痛々しい。