個性とは、人工知能に近い表現で言えば、生きる上での「資源」の配分戦略のことである。そして、注意や努力といった資源をどのように配分するかは、まさに人それぞれであり、どれが正解だとは一概には言えない。

 例えば、仕事に打ち込んで、会社での出世競争に勝とう、という方向に資源を配分する人も入れば、仕事はほどほどで、その分、余暇にエネルギーを注ぎたい、という人もいるだろう。それぞれの個性のどちらが生きる上で有利かということは、そう簡単には言えることではない。

 仕事はほどほどに、という人は、会社での出世はできなくても、趣味のサークルで知り合った人から、新しい仕事のヒントをもらうことがあるかもしれない。素敵なパートナーとの出会いもあるかもしれない。そもそも、仕事人間よりも幸福かもしれない。

 人生という「不完全情報ゲーム」(状況を判断するのに必要な情報が、完全には与えられていないゲーム)においては、一つの基準で、点数をつけることなどできない。

 人工知能の発達により、ある特定の基準で点数がつくようなことは、機械がやってくれるようになっていく。ペーパーテストで決まるような入試に合格する能力は、間違いなく陳腐化し、市場価値も下がる。一方、そう簡単に何が良いのかわからない「人生」という「不完全情報ゲーム」における「個性」の意味は、人工知能の時代だからこそ、ますます重要になる。

 結局、個性を磨くしかない。しかも、その場合の正解は一つではない。「みんな違ってみんないい」という命題が、心温まる「ちょっといい話」だけではなく、理論的な裏付けのある戦略論となる。
 ようこそ、正解のない、素晴らしい人生へ。人工知能が隆盛する近未来は、結局、人間が人間に回帰する時代なのだ。