変わる中国人の戦争手法


 戦争の定義については、字書、辞典、百科全書、政治用語辞典などなど、それぞれの概念規定、注釈があっても、時代とともに概念が変わり、歴代の戦争論や戦争観が変わるだけでなく、時代とともにますます追いつかなくなってきている。

 では、内訌(ないこう)や内乱、朋党(官僚がつくった党派)の争い、政争、村と村の決闘である「械闘(かいとう)」、さらに今現在進行中のサイバー・ウォーが戦争かどうか、「経済戦争」や「貿易戦争」が「戦争」かどうかが問われる。そればかりか、戦争の字義だけでなく、命名も論議され、対立までしている。

 「大東亜戦争」か「太平洋戦争」かだけではない。日本で通称「アヘン戦争」については、英国では「Trade War」と称されるので、名称も異なる。

 六〇年代に、私と同じ大学の院生たちが夏休みに帰国した際、「経営革命」や「マーケティング革命」などの専門書が税関に没収された。中国共産党が「世界革命」を唱え革命の輸出を目論んでいたあの時代には、台湾の政府は「革命」という文字に神経を尖らせていたので、専門書であろうと政治とはまったく関係ない書籍であろうと、「革命」という文字を目にしただけで、すぐ「造反」と思い込み、没収された。なにしろ、あの時代は歌曲まで三百余曲が公式に禁唱されていたので、精神的ななぐさめは、トイレの中で、小さな声で唄い、あるいは心の中だけで楽しみ、声を出さずに済まさなければならなかった。あの時代には三人以上でひそひそと話をしたら、「造反の密議」とみなされたので、友達をもたないことが最高の生活の知恵となっていた。

 インドネシアでビジネスをしている大学時代の友人は、日本に来るたびに日本語の著書をそれぞれ選んで持って帰っていた。インドネシアは一時、反華僑、反華人の国策を断行し、漢字をすべて禁止した。漢文や中国語書籍まで持ち込みが禁止されていた。国によっては文字や言語についての考え方がそこまで違うので、「戦争」や「平和」、「侵略」についての解釈は狭義から広義までそれぞれ違う。学者だけでなく、民衆の意識に至るまで、ことに概念からイメージに至るまで、共有するのはじつに難しい。

 人類史にはさまざまな戦争(平和も)についての論議がある。たとえば、世界で有名なクラウゼヴィッツの『戦争論』をはじめ、『韓非子(かんぴし)』やマキャベリの『君主論』もそれに含まれると言える。「孫呉の兵法」をはじめとする「武経七書(ぶけいしちしょ)」(『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子(うつりょうし)』『六韜(りくとう)』『三略』『李衛公問対』)だけでなく、トルストイの『戦争と平和』をも含めて、純理論からハウツー本、そして小説に至るまで、戦争についての考え方、兵法に至るまで、戦争についてはさまざまな異なる考えがある。もちろん今でも新著が続けて出ている。戦争と平和については、異なる考えがあるだけでなく、対立するものも多い。「春秋に義戦なし」と孟子は言っていても、「十字軍の東征」について、キリスト教徒とイスラム教徒の考えはまったく対立的にして両極端である。

 それでも、今では西洋の正義と中洋(イスラム)の大義、そして東洋の「道義」があって、対立もしている。